温泉宿



温泉街というところは、田舎なのに繁華街。という不思議な二重性の場所であるから、人が日常を離れて仮初めの時間を過ごす舞台としては好都合な訳で、それこそ、その昔はしょっちゅう映画など物語の舞台にもなったのだろう。「旅の風情」とか「懐かしい町並み」とか「場末の哀感」とか、そういう云い方で語られてしまうイメージというのは、人間の凡庸で卑小な、しかしそれゆえに純度の高い快楽を貪る場にこそふさわしい。例えば死を賭して駆け込んだ二人にとって、その連れ込み旅館の内装はどのようであるべきか?と云ったら、それはもう陰惨の極限図の現前であるべきで、ここまで流れ辿りついてしまった事の不幸と行く先の暗澹を骨の髄まで味わい嘆き罵り合い後悔し尽す程、過酷なものであってほしいだろう。潰れたジュースの空き缶や、温泉宿の裏手の排水溝からの汚水の流れも、そういう風情の味わい深さに貢献する。でも実際行くとそれほどでもないが。