「呉清源 極みの棋譜」


シネスイッチ銀座にて鑑賞。冒頭、対局会場の場まで庭に面した廊下を歩くときの、足袋履きの足が廊下の木を踏みしめていくときの足音が素晴らしい。男性一人の体重分が乗っかって、それが縁の下にまで響いて空気全体を微かに振るわせる。それが歩く毎にどん、どん、どん、どんと打ち鳴らされていく。独特の音。こういうとき、映画館の音響って本当に素晴らしいなあと思う。人間が日本の廊下を移動するときだけ起こる不思議な感覚。碁盤に碁石が置かれ、指先が離れる。碁石は少しの間だけ震え、やがて停止する。


舞台となる場所はほとんど日本で、1930年代〜50年代前くらい。日本人俳優が多く出演している。松坂慶子の演技など、ええ?これでいいの?と云いたくなるような感じで、ちょっと不可解な気持ちになる。物語の押し進み方が異常に断片的で、すべてに必要以上にスコープを明確化しない。かと思えば字幕や役者のせりふで驚くほど説明的な言葉が出てくるので、結構面食らう。「えー?そんなでいいの?」っていうシーンが連続して、僕が気にしている事を作り手はまったくどうでもいいと思ってるような、そんな事は問題ではないと思っているかのような感じで、表層は全くわかり易い雰囲気なのに、かなり置き去りにされる。うわー、そうかこういう映画もあるのかあと思う。知らなかった。自分の意表をつかれる。しかしそれらの中心のいる呉清源役のチャン・チェンは、まったく何にもないというか、ほとんど阿呆のようにも見えるというか、映画全体の中でそこだけほとんどまったく絵の具がのせられていない余白のような存在(存在してない)感じですらある。もちろん泣いたり笑ったりバイクに轢かれたり池に落ちたりするのだけど、大抵ぽやーんとしてる。鑑賞後に妻と「あの、ぽやーん振りは只事ではないよねぇ」とか言い合った。