「いくつになってもやりたい男と女」


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なんという事だ、今観たのは何?この気持ちのやり場はどこにある??という感じで激しく動揺する。素晴らしいなどという言葉は虚しいだけだ。いまおかしんじという名前を聞いたことがあるという理由だけでCSで録画しておいたものを先ほど観たのだが、これは観ることができて本当に良かった。


とにかく「フナやん」が素晴らしすぎである。冒頭で速水今日子に乳首攻めとかでいたずらされて喜んでるところで早くもツボにハマり思わず30秒くらい笑い続けてしまったが、それからさらに一挙に引き込まれ、終わりまでこの「フナやん」をはじめとするこの映画全体にものすごいちからで引きずり回されてしまった。引きずり回されるといっても暴力的なイメージに襲い掛かられて…という事ではなくて、たまらずえへへへへっへえとだらしなく生じる笑いを抑えきれない状態に陥った直後、次のカットでは胸を突き上げるような激しい切ない悲しみに包まれて涙が止まらなくなり、また次ではうわははああぁははと笑ってしまうような、そういう感情の猛烈な揺さぶりに見舞われるという意味での引きずり回しである。


僕はおそらくこの映画を観ながら40%くらい笑っており60%くらい泣いていたのだが、これは泣いたり笑ったりの量が後で考えたらそれくらいの割合だったというよりは、そのくらいの割合で同時に笑い泣きしていたという感じなのだ。だからもっと正確に云えば笑いも泣きも100%に近い感じもある。泣いていいのか笑っていいのかわからないシーンが多すぎて、どうして良いかわからなくなってしまう。…だってやっぱり滑稽でバカバカしいとしか云いようがないから…。でも同時に、全ての行為がもうそれでしかないでしょという確信に満ちていて、もう、こうして書いていても思い出すだけでまた涙が溢れてくるほどである。


末期がんに冒された奥さんの最期のお願いの、思わず息を殺して見つめずにはいられないような繊細なやり取りの悲しさに打ちのめされて、直後のカラオケの酷い歌声に堪えきれずまた爆笑してしまって、その次のカットではもう空になった病院のベッドが捉えられる事の衝撃。触れられる体の存在が、たしかにある事と消え去る事があっけなくつながって、さらにまた次のシーンではストリップを食入る様に見つめる「フナやん」の顔になってこれがまた笑う(泣)…。


後半の「フナやん」と「かずちゃん」との逢瀬なんか、まさに奇跡的だと思う。…本当になぜこれほど胸を締め付けられるような気持ちにさせられるのか、ほとんど自分が不可解なほどなのだが、おそらく僕の嗜好として、映画というものの要素の本当に大きな部分が恋愛というか、男女の関係であるというのは揺るぎがたいのだ。ふたりが向かい合うとかキスするとか体に触れるとか、そういうのは唇の感触や他者の気配の幻想をスクリーンに見つめるという事そのものなのだ。本作はそれをはっきりと露呈させる。今ここに手触りや温もりのリアリティを感じるというその単純かつ厳粛な事実を、もう嫌というほど見せつけて確認を迫る。これほど強烈なリアリティを感じたのも久しぶりだけど、おそらくそれはこの映画に映し出されている肉体が、ごまかしようもなく年老いているから、という事だというのが大きいのだと思う。(学生時代の回想シーンも同じ役者の扮装によって老人ホーム学芸会みたいな様相で演じられるのだ(笑))。。これらの肉体の枯れた感触は映画である事のファンタジーを突き破って、恐ろしく寒い現実そのものを曝け出す。このような肉体を引きずりながら男女が求め合うという事のそれしかできないという限界の感触。しかしそれは決して悪くない感触なのだ。二人で並んでベッドに横たわっているシーンのこの上ない幸福感をどう書き表せば良いのか…そしてさらに、このふたりはもう一度、その限界部分から平然と営みを通じて上り始めて、もう一度ファンタジーの領域にまで戻ってきてしまうのだ。これはもう、幸福としか云いようの無い瞬間の訪れで、ああこれはやっぱり映画だ、つくりもののファンタジーだ、こんな事、絶対現実に起こりっこないよ、「フナやん」にしかできないよ、とさえ思ったりもするのだけど、でも感動で涙がマジ止まらない。。本当になんて事のない、単に男女が惹かれあっているというだけの事なのに…。


この映画はカメラで対象を捉える事を絶対に逃げないという感じがある。「かずちゃん」の横顔のアップをずっと長い事捉え続けて表情の変化の一部始終を見つめさせるところなんか、あぁすごい、目を逸らさずこんなに撮り続けるのかと思ったし、ホテルに入ってからの一連のシーンも、そういう腰の据わった態度があれほど素晴らしいものを作り上げるのだろうと思った。