悲しきヤンキーメイト


「スローなブギにしてくれ」は1981年の映画だが、観ていて何度も「これ家の実家の傍かな?」とか「これ入間基地」だ!とか「これハイドパークじゃん」とか思ったけど、違う。あれは全部福生で、基地は横田基地である。でも基地のフェンスとか枯れて脱色されたような芝生の広がりとか真っ白な空の感じは、別に違いなどあろう筈もない。16号沿いの航空基地の傍の、少しずつ住居が立ち並び始めた頃の空気。…そういえば浅野温子の実家は横浜という設定だったが、ロケされていたあの風景もとても横浜には見えないようなものすごい荒々しい風景であった。たしかに「赤い電車」が走っていたから神奈川県の横浜市とかの辺なのだろうけど。。


物語の中で何度も出てくる浅野温子がバイトするスナックがあって、あれは舞台としては重要な場なのだけれど、でもあの常連客とマスターとのベタベタした雰囲気は寒い。若者の出てくる青春映画における溜まり場としての呑み屋というのは、特に一昔前のものだとどんな映画でも大抵、内輪だけで馴れ合ってヘラヘラ笑い合ってるような、かなり鬱陶しくて気持ち悪いムードが漂っている事が多い。北野武HANA-BIだったと思うが、ガダルカナル・タカがスナックの店主役でやかましい若者客を殴るシーンがあったけど、あのシーンが良いのはやかましい生意気な若者が殴られた事で溜飲が下がるからではなくて、映画の中でのコミュニケーション空間というかオアシス的幻想に包まれてる筈の店というものが、そのイメージを自ら平然と裏切って、客に正面から暴力をふるう事の快感なのだと一瞬思った。


あと、さらに無関係に話しが飛ぶけど、上條淳士の「To-y」という漫画があったが、あれはおそらくこの映画のエッセンスをかなり吸収しているのだと思う。高速道路に腹這いで腕を路面についてる浅野温子の姿なんか「ニヤ」そのものである。「スローなブギにしてくれ」から山崎努の鬱陶しい重みを抜き取って浅野温子=「ニヤ」的しなやかさとファッションパンクス的マニエリズムの虚無的華やぎを付加したのが初期「To-y」で、その後の「To-y」はお話としては金回りが良くなるにつれ、夜ヒット〜芸能トレンディードラマ的様相へとシフトしていったようにも思える。「To-y」の連載は85年〜87年だが(たったの二年間なのか!あんなに繰り返し読んだのに今はじめて知った衝撃の事実)これは漫画の内容が変わったのではなくて世の中の方が大きく変わっていって、やむなくそっちに引っぱられた感が強い。前半のざらざら感は後半薄れ、僕はそれはそれで楽しんでいたのだが、やはり当初の魅力も捨てがたく、それを求めるならどっちかっていうと「シャコタンブギ」の方が、自分が求めているテイストを色濃く湛えている事に気付いたりして、そっちの方が面白くなってしまったのであったが。夜明けの国道とファミレスのおそろしく虚しい懐かしさがすごく良かった。「海岸通でおまえと2人」なんてベタに泣けた。本当に良かったなあ。。


あとは「ストリート・スライダース」…そういえばスライダースも福生から出現したのであった。高校一年のとき、僕はスライダーズのインタビューとかが載ってるまだ創刊されたばかりのRockin On Japanを国分寺の本屋とかで立ち読みで超熟読したのであった。そして「夢遊病」や「がんじがらめ」のジャケットを「珍屋」で凝視していたのだった。そういえば上條淳士の描く男性キャラの顔は今だに全部「ハリー」である。「スローなブギにしてくれ」での南佳孝の曲はたしかにすごく良いけど、よりふさわしいブギとはスライダースが演奏するようなブギの事かもしれない。


…で、っていうか山崎努も結局、生き残ってしまった以上、その後の80年代を生き抜くしかなかったのだろうし、郊外の景色が開発されてコギレイになっていくのをボンヤリ見つめつつ、気が向くとふらっとできたばかりの吉祥寺とか所沢のパルコに行ったりもしたのだろうなあ。それしか選択肢ないだろう。(??)