「スローなブギにしてくれ」


スローなブギにしてくれ [DVD]


「スローなブギにしてくれ」というのはつまり「形式がスローなブギでさえあれば誰が演奏していようがどのような曲であろうがどうでも良い」という意味にもとれる。ブギとは三連譜を基調とした跳ねるような特徴をもつリズムの事で、ミディアム&スローテンポのブギであれば、シャッフルとかロッカバラードとか呼ばれもするような、曲として極めて様式的でアクの強い曲調が思い浮かぶ。日本、アメリカ、オーディオシステム、ムスタング、タイプライター…取り急ぎ、今ここで必要とされるのはそれ自体の固有の強さではなくて、あるパースペクティブに基づいて秩序付けされた幾多のうちのひとつに過ぎない。そのようなものでありさえすれば良いのだ。という予感に基づいて形作られているのが、山崎努が同居人たちと住まうあの福生の家だろう。通常の家族構成を大きく逸脱しながらも何とか組織だち駆動しようとする人間の集団。まったくオリジナルな形態のようでありながら、内実は過去の歴史のありとあらゆるものが、一応それぞれの秩序付けに従いながらも相当断片的に集められており、結果それらが錯綜して完全な無秩序に限りなく近づきながらも、危ういバランスでかろうじて体勢を保っているような奇妙な生活空間。おそらく山崎は半信半疑でありながらもそれらに賭けており、この場所での幸福を実現させる事に賭けている。そのつもりはある。でも全然自信がある訳ではなくて、むしろ苛立ちや不安との闘いの日々で、そんなときに八ミリカメラを向けられたりすると烈火の如く怒る。ふざけんなこんな状況を撮るんじゃねぇよ、「残す」んじゃねぇよと。…そして結局、原田芳雄が突然死ぬ事で、挫折はあっけなく訪れる。結局、なし崩し的に、今まで忌避してきた筈のある固有の強さへと回帰するしか無くなって、たまたま出会った浅野温子という「特別な個体」へ深く介入しないでは生きていく事さえ難しくなるほど追い詰められてしまう。


ここでの浅野温子は確かに魅力的だ。あらゆる文脈や意味の網の目に絡め取られずに、どこまでも軽やかに動き続けるためには、このような戦略しかありえないとでも云わんばかりの行動や態度。でもそれって結局、あらかじめ問題を先取りして周到に準備されたものでしかないじゃないか?という感じもある。こういう人物の存在について、この映画の中ではまだ自律して輝けるだけの力はあっても、それ以上やったら只の媚態でしかない、というような危うさもあるように思う。


まあいずれにせよこの映画ではもう冒頭から、山崎努がこれから徹底した負け戦を強いられる話なのだろうという事が予感されて、だから山崎努という悲劇の主人公の映画なのだが、なぜか最期に生き残ってしまうのは救いでもあるのだろうしこれからより苛烈な生を生きざるを得ない更なる絶望とも云えるだろう。僕にとって山崎努の苦しみや抱えてる問題は、他人事のようにしか感じられないというか、なんだこれ?バカだなあ下らないなあ、とか思いながらも、しかしその四面楚歌な感じとか、終わってる感というか、どうしようもない苛立ちや空虚さをたっぷりと含んだ空気のざらつき感にはほとんどふるさとへ戻ってきたような感覚にも襲われる程で、ロケ撮影された福生近辺の風景に脈打ってるリアリティこそがこの映画のほぼすべてというくらいの強力さで、本当にこのままいつまでも観ていたいと思わせる。