文章の模写


書物を引用しようとして本を開いて読みながらキーボードで書き写してみると、改めてその文章のひらがなと漢字の割合とか句読点の場所とかからなる「そのようにして組みあがっている感触」を、やたらと生々しく感じることができるのに驚く。それはもう、今まで何度も読んでいてリズム感とか呼吸間隔とかもよく知っているつもりになっている書き手のものを書き写したりするときに、かえってより強く感じたりするのだから面白い。いやぁ自分ならこのような言葉の並べ方は絶対しないよなあ、でもすらーっと読んでると自然にしか思えないから特に気にならないよなあ、とか思う事ばかりだ。でももしかすると逆に、普段のただ読んでるだけという状態では文というものの本来もつ生々しい感触を、半分も感じ取っていないという事なのかもしれない。大昔に複製印刷技術がなかった時代は、読み手がどんどん書き写して複製を作り人から人へ広めていったというけど、もし、その一字一句書き写していく作業が本来の「読む」という事であるのなら、今の、字面を漫然と黙読する方式の「読む」では全く勿体無いのかもしれない。