「ロートレック展」サントリー美術館


ロートレックは、ポスターなどの仕事とタブローあるいは油彩を用いたクロッキーのような仕事とで明確にやってる事が違う。まあ役割が違うのだから当然かもしれないが、僕は今のところ個人的な好みとしてポスター仕事にあまり興味をもってなくて、展示会場でもスルーに近い程度にしか見てないのだが、しかしとにかくそれらが日本の浮世絵の絵師による形式から強烈な恩恵を受けて出来たものだという事はわかる。


新しい技術を知って、それが自分のニーズとがっちり組み合うと、今までの作業効率が抜本的に改善され、かつ従来の効果を遥かに凌駕する結果を得られるかのように感じられるものだ。ロートレックにとっての浮世絵とはまさにそのような驚くべき作業効率性をもたらした。見るたびに心踊されるようなそんな新たな形式を見つけてしまって、元々自分の内部にあったこれ!という何かを、その形式に直接ぶつけてしまえば、細かい事を気にせずとも自動的に面白みのあるイメージができてしまうという位の勢いすら感じる。だからもう、思いつくままにすごい速度でどんどん作られる。細かい質の吟味よりも、枚数を重ねて描き飛ばす方がこの場合は重要なのだとでも云わんばかりに。ちょっとしたひとつの思いつきやアイデアだけで、もう一枚のレイアウトができてしまうという、そういう類のものであるように感じられる。だからそれらを観客として丁寧に見てもあんまり面白くないけど、スピード感はすごい。そういうスピード感というのも確かに、絵における強烈な魅力のひとつだとは思う。でもその形式に対するあまりにも過度な信頼のみで作られている分、時代による風化を避けられない。…まあでも、それらはあくまでも「ポスター」なのだから役割は果たされている訳で、それで全く問題ないのだけど。


で、これがタブローとなるといきなりアプローチが変わるのだが、どうやってるかというとまず、素早い筆致であたりをつけ、人体をかなりの決め方で捉えてしまうと、溶き油でややゆるゆるな絵の具で素早いストロークのタッチを何度も重ねる。決めるべきところはくどいほど決めつつ、しかし初期段階で走らせてある下層の仕事による効果を消し去らない程度の、すだれのような、メッシュのような、スカスカなボリュームでストロークは重ねられ、次第に色とボリュームが付加されていき、全体の密度が高まっていく。


その手順を支えるためにロートレックはおそらく対象をまともに「見てはいけない」。面白い事にロートレックの場合、対象をそれなりに真剣に見つめてしまうと、なぜかいきなりマンガになってしまう。その現実を見つめるほど、なぜか絵は恥ずかしげも無く外部との妥協点を探り始めてしまい、仮面のような奇怪な表情をしたイヴェット・ギルベールであったり、脚を高々を上げて異様なフォルムと化したジャヌ・アヴリルでしかなくなってしまうのだ。


一定の制作時間を支え、絵画を作るためのその手順を支える、そのために必要なものとは、固定され安定した何かの事物である。…ある作品では「顔」であり「背中」であり、突き上げられた「脚」であり、ある絵では「コルセット」であり、ある絵では「コートのフォルム」である。それらの事物が一端、揺ぎ無いものとして画家の内面に固定される。で、その中心物から様々な濃淡を伴って、タッチと線と色彩が周囲に広がっている。


通常、線が重なったり訂正されたりまた重ねられたりする理由は、それが複雑で捉え難いからである。しかしロートレックの制作においては、「顔」や「コルセット」自体を複雑で捉え難いものとは思っていない。それらは画家にとって疑いようのない事物であり、描く根拠であり、手綱である。描き始める前から、画面のどこかに置かれる事があらかじめ決定済みといっても良いくらいの安定度で存在している。それの画面上での「据わり」が悪くなったりしないように、周囲を辻褄あわせしているようにすら見えるときもある。根本の中心にそういう安定があるから、表面的にどれだけ筆触とかが流動しても、さほど何事も起きないのだ。


この中心となる事物への信頼というか、疑いなさが何なのか?という話になるだろう。ロートレックの作品を正直「素晴らしい」とは思わない。思わないのだけど、こういう捉え方、描くときの取っ掛かりの付け方、気持ちの置き場の感じ、とかそのあたりは僕にとって実に古くから想像してトレースしてきた過去の記憶があるため、何となくロートレックの作品って他人のモノの気がしないのである。…そりゃ勿論僕はこんな上手くないのだが、そういう話じゃなくてあくまでも積み重ねる手順とかそのときの呼吸の感じ、リズムの感じに、今まで散々真似してきたところがあるので、それを自分なりに思い出して反芻できた事で、今回これらを観たのは価値があったと思ったので良かった。


なお、晩年の数年間に描かれたタブローは、もう目も当てられないというか、痛ましい程、酷い絵である。健康を害しておりもはや実質的には生きていない状態であったのだろうが、それにしてもあまりの荒廃に気分が悪くなる程だ。…ロートレックは1901年に亡くなる。同じ頃、極東の島国ではまだ若々しい横山大観日本美術院と運命を共にする位の勢いで、独自の不思議な方法論を駆使して旺盛に活躍していた事だろう。