喫煙老人


先日、NHKで放映した「市川崑さんをしのんで −映像美の巨匠 市川崑」というのを観た。先ごろ亡くなった巨匠・市川崑監督、83歳当時の、映画「どら平太」の撮影現場の密着と、これまでの数々の作品を通して、市川崑の姿をあますところなく紹介するテレビ。(1999年制作)


それで今日、CSで「タカダワタル的」というのを観た。2005年に56歳で急逝したフォークシンガー・高田渡の魅力を、新鋭タナダユキ監督が撮った音楽ドキュメンタリーである。


どちらも、もう異常なまでの本数、タバコを吸う爺さん達が出てくるのである。その猛烈なまでの喫煙に賭ける意気込みの半端じゃなさに驚いた。


人生の最期に至るまで、タバコを吸い続けるというのは、やはりこれは相当立派な事なのかもしれないと思う。特に尋常ではない勢いで喫煙が駆逐されてる昨今であるから、余計にそう思うところもある。かく言う僕など、全く情けない事に、不甲斐ないことに、タバコをやめて、早5年とかたつ。5年も前に、転向してしまっているのである。その傷を、一生背負っていかなければいけないのだと痛感した。でもタバコの煙とか、いまやもう、僕なんかうわ!くせーくせー騒いでにおいが漂ってくるだけできーー!!ってなって、タバコケムリくさいよー!!と咽も裂けよとばかりに絶叫して、やだぁまた坂中さんがヒステリー起こしてるわぁとか云われてしまうのであるが…。


父親なんて昔は一日ふた箱以上吸うヘビースモーカーで、かつ俺がタバコを吸うのは思想があって吸ってるんだとかえらそうに豪語してた癖に、何年か前に脳梗塞やってからあっさりやめやがったのだ。情けない!!やめんなよ!吸えよ!とかちょっと思う。でも身体が第一だからね。へっへ。でも親子そろって転んでるというのは、あまりにも情けない。海の藻屑をおもって、哀しみが漂う。本当に、近代日本に生まれた親子二代の数ある悲劇のうちのひとつなんだろうなーとか思う。っていうか母親には内緒の話をここでリークするけど妹はまだ吸ってる。たぶんおまえに一族の誇りが託されているのだと思う。


市川崑のくわえタバコの映像を観て思うのは、おそらくあの人物の前歯には、タバコホルダーとして利用可能な程よい歯と歯の隙間が存在しているのであろうと思われるのである。そこにフィルターをがっちりとはめ込んでいるのであろう。そうでなければあれほど安定した状態でくわえっ放しのまま、とめどもなくお喋りする事は不可能に近いと思われるからである。ああなるともう、自分がタバコを吸っているのに、実際体内に取り込まれるのは副流煙がほとんどという、二重に倒錯した事態を召還しているように思われる。でもやはりあの吸いっぷりはただ事ではない。市川崑の生命を縮めたのは、タバコなどでは決してなく、微妙な怪しさでじょじょにタバコを奪おうと企む昨今の世間の風潮だったのでは?とさえ思われる。


いずれにせよ、死ぬまでタバコを平然と吸えたというだけで、とても立派で見事な人生である。本当に素晴らしいご老人たちだと思う。…でも隣の席には来てほしくない!うそ!!来てほしい。というか、僕はもともと、タバコの煙が部屋中に充満してる家で幼少の頃を過ごしたのだ。小学校から帰って来て玄関を開けて、あの匂いが漂っていると、父親が在宅している事のしるしだったのだ。思い出としてはね。でもそういう時代はもう終わったという事です。