I Need You So Much〜Runaway


その曲を聴いただけで、それを初めて聴いたときの何年も昔の事とか、そのときの自分の感じていた感覚とか、そういうのが一気に思い出されて、それって不思議だよねーみたいな話をよく音楽好きな人と話すとき、確かにそうだねーとも思うものの、それって懐かしさの感情が、音楽の力で異様に引き立っているというだけなのではないか?そのとき主役は懐かしさという感情の方で、音楽は従属物でしかないんじゃないか?とも薄っすら思う。とはいえ、音楽はどうしてもそれがはじめて空気中に放出されたときの記憶〜季節や天候や空間やその中の自分の身体コンディションや感情などなど〜とセットになってでしか、頭の中に留めておく事ができないのだから、それはもう仕方がない。というか、音楽はもともと、それが消え去ってしまった後、音楽自体の記憶とそれ以外の雑多な記憶とのどちらが図でどちらが地の関係になってしまっても、その記憶の主役は別に、必ずしも音楽じゃなくて懐かしさかそういう感情の方でも全然かまわない、というようなところがあるのかもしれない。いわば自分自身の原初の姿にはこだわらないけど、いかなる形であれいつまでも記憶にこびりつく、そのような特性。


僕はMoodymannのアルバム「Black Mahogani」に収録されている曲の中でもとりわけ3曲目I Need You So Muchから4曲目Runawayへの流れが好きで、この2曲だけは何度聴いても聴き飽きる事がないのだけど、これをはじめて聴いたのは、発売当時の2004年の夏なので、聴くたびごとに、それを買って聴いてた頃の2004年の夏の夜の感じが鮮やかに蘇ってくる。いや、そういう事は取り立ててどうこういう程の事ではなくて、音楽を日々聴いてる人にとってはまったく珍しくもない事だろうけど、でもこの、I Need You So Much〜Runawayから受けるその蘇り方の鮮烈さは異様なほどで、もはやその2004年の夏の夜の感じというのが自分の中で、2004年という限定された意味を意味もなく特権化させると共に、そこから溢れてくる感触が、2004年という言葉の枠をはみ出してきてしまっており、たとえばここ最近、数日前から熱帯のような湿度と暑さになっているけど、その蒸した感じの夕暮れから夜にかけての感触が、僕にとってはそのまま、2004年の夏の夜の感じの再生であり、今後もとにかく蒸し暑い初夏の夕暮れ以降はすべてが2004年の夏より生成されてしまう事にもなりかねず、というかそれをとりあえず2004年の夏のようだ、と口にするしかない程思い詰めている様子で、どうあがいてもそう思ってしまう理由はひとえにこのI Need You So MuchからRunawayのせいにほかならず、この楽曲が再生されるだけで、その理由が完璧に説明されてしまってるような錯覚さえ感じてしまうのだ。


要するに、これから夏が来るのでは??と予感されるときのある種の期待感とかワクワク感の事を、ここでは書いているのだと思われる。そういうのは音楽で喚起されやすい、という事も。それは夏がすぐそこまで来ているという事で、I Need You So Much〜Runawayを再生しつつビールでも飲んでれば人生はおおむねオーケーだとさえ思えるような瞬間の事を書いてもいるのであろう。