機械の体


この前たまたまテレビで見た昔のアニメ「銀河鉄道999」の第二話で、火星のゴーストタウンを散歩する鉄郎にバーのオヤジが話しかけ、そこで「機械の体」の話になるのだが、そのときオヤジは「わしも昔、機械の体に憧れたが、金が無くて片足だけしか買えなかった」といって、機械の足を見せるシーンがあった。それは機械の足、というよりもいわゆる義足にしか見えない感じで、こんな機械化をするなら普通に100%生身の方がよっぽどマシではないか?と思えるのだが、そこがあの世界では我々とまるで違う価値観なのであろう。ワシが死んでも足だけが永遠に生き残っても仕方が無いでのう…などという台詞も出てくるのだが。足だけが永遠の命、という感覚がすでに、ある意味ものすごいところにいってる。


この物語では、地球という惑星に住む金持ちは機械の体を得て永遠に享楽的な生活を送り、貧乏人は一生働いても機械の体を得られずに一生スラム街かメガロポリス外で暮らす。しかし銀河鉄道が出発して、次々に停車する星にいる多種多様な登場人物たちがいて、そいつらもわりと機械化人間であることが多いのだが、しかし物語の中では、機械の体を持ちながら自分の生に深く疑問をもったり人生を変えようとしたりするやつがいっぱい出てくるのである。そうしてそういうやつらは大抵、志半ばで死んでしまう。ここも疑問なのだが、冒頭で機械化伯爵が言ってたように、機械の体だから頭部さえ破壊されなければ、本当には死なないのが機械化人間なのだと思うが、しかしシリーズ中、まるで人間のように死んでいく機械化人間のなんとたくさんいたことだろうか。


銀河鉄道999」という話の中に出てくる「機械化人間」というあり方に、科学の発展による人間の未来の姿であるとか、そういう整合性のある理屈を求めても無駄で、機械化人間の姿は完全に、いま現在の我々人間のことを示しており(つまり我々は既に永遠の命を得てしまった、という認識の後の生を生きていて)その後の苦しみとか生きる悩みとかを抱えて、そんなときに、ほぼ生きている存在とはいえなくなっているようなメーテルと鉄郎に出会って、大抵の場合、最後は鉄郎に撃ち殺されて(そこで何かを悟って)絶命する、というパターンの話なのである。