「Move Your Body: The Evolution of Chicago House」Marshall Jefferson


Move Your Body


貧しさ。それは選択肢の無さであり、豊かさや奥行きを欠いた一本道の平板さである。ある行為に、そうではなかったいくつもの可能性が含まれていることを感じる、というとき、その行為自体を「豊か」と捉えるか「貧しい」と捉えるか、そこは常に微妙である。というか、捉え方に言葉を当てはめたときに、それが「豊か」であっても「貧しい」であっても、そこまで来るともはや、どちらでもあまり違いは無いと考える事は大いに可能だ。というか、それは大抵、どちらでもあるような感じで、おおよそ、人には気づかれにくいものだ。


たとえば、ある楽曲を聴いて、それが曲として絶望的なまでに貧しいのだが、そうであるがゆえに魅力的なことは多い。音楽として、それしかできない、ある一つの役割しか担えないという事そのものとして在る事のあっけなさというか、それでしかないことの簡単さそのものの眩しさがあるのだ。


これは、貧しさに開き直る態度が良い、という話ではないし、貧しいがゆえに構造とか骨格がむき出しになっているのが良い、という話でもない。下世話なポップがどうとかキッチュがどうとか、そういうよくわからない話でもない。そういう何かの代替としての貧しさを聴いているのではなく、今ここに聴こえるの貧しさは、もっと、ありのままに、貧しさそのものとしてある。おそらくその、ありのままという感じが肝心である。


音楽というものを、「誰かによる、ある思惑やたくらみを伴って仕掛けられた数分間のこと。」としか普段から考えていない場合、只の楽曲がその場にいきなり、ありのままにある、という事実を受け入れ、理解するのは相当難しいだろう。それが、そのまま、ありのままに投げ出されていることの(という言い方をすると、投げ出した主体の意志がたちまち立ち上がってしまうのだが、そういう意志もまったく無いと仮定して)誰の責任でもないし誰の評価対象でもない、只そこにできてしまったことを、そのまま受け取るという事。


そのためには普段からかなり意識的な心構えが必要となる。難しいのだが、良い意味でたかをくくる態度を保持しつつ、しかし目の前の出来事すべてにビビッドに反応するような、そういう状態でないとダメ。