テクノテクノ


最近はひたすらテクノばかり聴いてる。過去の所謂ハードミニマル系とか有名な人のMIXものとか各種音源を今更のように片っ端から購入して、現在入手困難であれば中古でもヤフオクでも使って手に入れて聴くという、いわばかなりお勉強的な態度で聴き続けている。テクノだけをむさぼり食い状態である。しかし基本的にテクノはあまり音楽の歴史みたいなものへの意識がないなあと思う。というか、テクノはテクノだけの小さな歴史に閉じている傾向がある、と思う。それ以外のことに不寛容な訳ではないが、それ以外の価値とテクノの核心は容易に融合しない。まあミニマリズムなんだから当たり前といえば当たり前なのだが、しかし改めて感じるが、実にどこまでも内省的な音楽だ。そして、ものすごく生真面目でストイックだ。こんなに人々から真面目に聴かれている音楽も他になかろう。でもなんだかんだ言っても、実はちょっと琴線に触れる瞬間とかがあったとしても、それは必ずしもテクノならではの質感の愉悦。、という訳でもなくて、やっぱりそれまでのリズム音楽がもつ大きな歴史に根ざす愉悦だったりもするのだけど。。


ソウルとかジャズとかの、過去の歴史を無条件に信奉してる音楽ジャンルの方が、表面的にはとても明るくて不真面目で一筋縄ではいかない、怪しくて信用ならない表情をもっているのかもしれない。歴史に囚われているはずなのに、それが却って大胆なまでのルーズさを許容する。不思議なものだ。歴史の厚みがもうあり過ぎて、不透明度が高すぎるからだろうか。


ここ数ヶ月、真面目なテクノを真面目に聴きすぎていて、そのせいで結構音楽受信用プロセスの動作が固くなっている気がする。本来何でも良い筈の場所から出発しているだけに、今ここで生成しているフレームに対して異常に過敏である音楽。それがテクノというもので、それこそが魅力なのだろうけど、でももうちょっと下世話で水っぽくてちゃらちゃらした軽薄なものが聴きたいなあ、と思ったりもする。とはいえ、やっぱりしばらくは依然として真面目に延々つづくMIXものとかを聴き続けるモードのままだ。