信仰の溝


制作するときだけ神様を信じる、という言葉があるが、ということはつまり、制作の直前までは神様について考えているのだろうと思う。あるいは、神様とかとはまったく別のことを考えていたりもするのだろうと思う。そして、いざ制作が開始されたら、もう考えるのはストップして、一方的な送信状態が継続される、という訳だ。


もちろん制作は、呼吸を止めてずーっと均一な集中力で行われる訳ではなくて、むしろ切れ間切れ間に息継ぎと呼吸の整えをひっきりなしに行うような、どちらかといえば揺らぎや途切れを含む、落ち着き無くせわしないような行為でもあるので、そういう行為の基底にひたすら一方的な送信状態が継続されている、という訳でも無いはずだが、しかしそのようなムラのある状態が決して好ましい訳ではないので、理想としてはひたすら均一な処理の実行結果として作品が出来る事が望ましいのだろうと思われる。


なぜ、神様によって作られた完璧なはずの世界において、あらためてもう一度信仰を意識しなければいけないのか?みたいな話があったように思うが、ちょっとどんな話だったかもう忘れてしまった。。


とりあえず制作の只中を意識して、認識しよう、制御下におこう(言語化しよう)としてもあまり意味はないのかもしれない。