グレコローマンスタイル


黒い鞄を持った、スーツ姿の男性が、地面にうつぶせの状態になったまま、必死の形相でもがき、亀のように両手両足をばたばたさせようとしているが、それが思うように適わない理由は、その上から覆いかぶさるようにして、警察官がその男の両脇の下から自分の両腕を入れて食らい付き、相手の背中に自分の胸と腹をぴったりと密着させ、完全に羽交い絞めにしたまま、自分の全体重を乗せて、ぴんとまっすぐにした両足を浮かせるようにして、つま先だけでかろうじて地面に触れるくらいに思い切り突っ張って、その男を自分の体重全てをもって、強く地面に押し付けているせいだ。オリンピックの、レスリングの、赤や青の肩紐の付いた体にぴったりしたスーツを着た人間が、頭を下にして全身を突っ張らして相手の人間の背中や脇腹あたりに潜り込もうとしているかのような、一種異様なあの姿の、いわゆるそういう風な、地上格闘技的な、駅前のタクシー乗り場の前で繰り広げられるにはあまりにも唐突でシュールな二人の組み合ったまま力の拮抗と静止が、そこに実現しており、その様子を、5〜6人の仲間の警察官が取り囲むようにして見ており、さらにその外周には無数の野次馬が観戦客よろしく、その様子を固唾を呑んで見守っている。


地面に押さえつけられて現在劣勢の、スーツ姿の男性は、しかしまだ形勢挽回を諦めてはおらず、ひたすら身の自由を奪還する努力を続け、必死の形相で自分の状態を立て直し、少しでも回復しようとする。自らのアゴを、直接硬い地面に押し当てて、そのまま力み、首の力だけで、上半身と地面との間に若干の余裕を作り出し、そこからあるいは反撃の端緒を手繰り寄せようとするのか。しかしその抵抗の火種を完全に根絶やしにするかの如く、男の上に覆いかぶさっている警察官はあらためて力を加えなおして男の身体を圧迫し、畳み掛けるように耳元で絶叫するのだ。「やめろっていってんだー、いいかげんにしろっていってんだー」耳のすぐ傍で叫んでいるため、相手にはかなりのダメージを与えているようだ。「だからやめろっていってんだー、なんどいったらわかるんだー」叫び続ける警察官の表情は若々しく、メガネをかけていて、とても真面目そうな、どちらかというと内向的でおとなしい雰囲気さえ漂わせている。しかし相手と密着した上半身の、激しく力をみなぎらせた腕や肩の筋肉の盛り上がりや胸板の厚みは、その白いシャツの下に人並み以上の立派な体格が隠されている事を感じさせる。「いいかげんにしろっていってんだー、みんな心配してんだよー、お前のことをー」


はっきり聞こえた最後の一言に、周囲で見守る観客のどこからともなく失笑めいたざわめきが漂う。そうか、みんな心配して、この状態をひたすら見守っていたのか。全然知らなかった。それまで誰一人として、そんなこと思いもしなかったし、そういう事だったなんてまったく気づかなかったのに、自分自身で相手と格闘しながら、周囲に対してもそれに気づかせてくれるんだからあの警察官はとてもすごい。