吉祥寺A-thingsで「上田和彦展」


前回(「組立」photographers' gallery)で観たときより更に深くなって、豊かになった感じ。全部で十数点の作品が展示されているが、一見同じ方法で描かれた、統一された仕事のバリエーションに見えて、じつはかなり様々な方向性があるように思えた。色々な方法を探っているようにも思われるし、どのような方法であれある一定以上のレベルにもってこれてしまう、作家の快調で安定した仕事の質を感じさせられもする。


作家が、この方法で自分の仕事を進められる、と判断したときの、そのときの確信の根拠とは、目の前の作品そのものにしかないのだが、逆に言うと、目の前の作品がいける、と思えたときの喜びとその後の展開への確信こそが、制作を続けさせるもっとも強力な推進力となる。誰かの作品を観る、というのはある意味、誰かが作品に対して感じた、喜びと確信そのものを追体験してるようなものだとも言える。


その意味で、いくつかの作品からは、キャンバス上で起こる出来事をそのつど、ゆとりをもって捉え、一番良い状態のままそこに定着させることが、とても快調な状態で出来てしまえている事を、まるで描く人になりかわったかのように、感覚的に感じさせられた。それをうまく作品に高めるためのやり方を、ある程度、感覚的につかまえる事ができてしまうので、画面の状態がたとえどちらに向かっても、その都度、きっちりと拾えて、受け止める事ができる。もちろんそれは、決めうちで、システマティックに、こうしてこうしてこうすれば作品になってしまう、というようなわかりやすい手順の発見、という意味ではなく、そのような、手順などというようなものに依存している感じはまったく無く、むしろ毎回毎回、律儀なくらい画面上で起こる一度きりの出来事を真正面から受け止め、それを今までの技術や経験や、勘や、偶然や幸運や何かも総動員させて、何とか「良いもの」へと向かわせようとする意志はどの作品からも感じられて、というか、どの作品からもそれが感じられるから、結果的にそれらの作品は良い、と思えるのだ。