エンジン


昨日なぜか、ラジコン飛行機かラジコンカーでも買うか!!と一瞬自分の中で異様に盛り上がってしまい、早速インターネットで色々と調べてみて、5分くらいで急速に気持ちが萎んだので、そのプランは無くなったのだが、しかし一瞬とはいえなぜそう思ったのか?というと、それは要するに、自分の手でエンジンに触りたい!という欲望が激しく膨張したからなのであった。小さなエンジンを自分の手で組み立てて、オイルを燃料タンクに注ぎ、キャブレターに点火させて、発動させたい!!とほんの一瞬、自分の心が燃えるように激しく興奮した。でも世間に売ってる製品とか実際の動画とかを見てたら、うーんまあこんなもんだろうなあと思ってしまって、なんかもっと、ブザマで激しくどうしようもなく手に負えないような、凶暴な荒くれな、そういう有機的な内燃機関みたいなのが良かったのだけど…。という妄想の方が勝ちすぎなので、まあ一瞬で冷める熱である意味良かったけど。…しかし、エンジン付きの玩具というのは何が困ると言って、騒音が一番困るらしい。その点だけは結構気に入った。でもそれじゃあウチの中で遊べないのでもういいやとか思ってしまったのだが、でもやっぱデカイ音の出るものは楽しい、人間はデカイ音が好き。というのは、世界の原理であろう。エンジンというものが世界ではじめて発明されたとき、人々はおそらく何よりもまず先に、その音に衝撃を受けたはずじゃないだろうか。だって、あのシステムが実現させたエネルギーの出力形態と、あの音って、表面的には何の関係もなさそうではないか。なぜあれほどデカイ炸裂音がのべつまくなし連続して放出されなければならないのか??実に迷惑きわまりなく、人々の神経を充分逆撫でさせるに足る、実にユニークな仕様だと思う。その異様なユニークさをスポイルさせる役割を持つのがマフラーだが、マフラーはこれはこれで、なんであれほど曲がりくねった、動物の臓物みたいな形状でなければならないのかよくわからないが、これはこれでまた別の理由と必然性に引っ張られた異なる事情をもつのであろう面白い部品である。音楽に置き換えて例えたらダブかとテクノも、要するにやりたい事とあらわれている何かが、一見あんまり繋がってない事が、人を妙な気分にさせ、妙な世界の幻影を見させるのだ。音だけ、デカければ良い、ってものではないのだが、でも、これ単に音がデカイだけじゃん、という事の、それ以上何もない事の爽快さ、というのも否定できない。