その街の今は


柴崎友香「その街の今は」読了。泥酔していたので全く記憶にないが、でも昨晩だけは、親しく打ち溶け合って盛り上がってお互い完全に恋人同士のように振舞っていたという事だけはかろうじて理解されて、主人公の歌ちゃんは、その日以降、良太郎との間合いをあらためて計リ直す。というか、あらためて出会い直す。相手の様子を伺い、自分の気持ちを確かめ、このままどうなるのが一番適切なことなのかを、自分の意志でもなく他人の意志でもなく、何かしらに確かめようとする。


歌ちゃんは、良太郎とあらためて出会い直しながら、いわばその街と、もう一度出会い直すのだ。今、この風景が、以前はこうではなかった、時間を隔てて、今とはまったく違う景色が広がっていた。しかし今と同じように、数十年前にもそごうや阪急百貨店があり、白いワンピースを着た女性や坊主頭の子供が数十年前のそのときに、確かに存在していたということを。今、目の前に広がっているこの町並みや人々が織り成す雑踏の景色とはまったく異なる世界が、50年間か60年前のこの大阪に確かに存在していて、でもそれは確実に同じ大阪であって、そのときも確かにその「場」自体は存在してあって、そのことに何度でも驚き続ける。そのことのはかなさ、ありえなさ、雲をつかむような頼りなさ、しかし同時に疑いようの無い確かさで迫ってくる過去という何か。


それが相手と共有し合える唯一のリアリティという訳ではない。でもその面白さ、はかなさ、ありえなさ、雲をつかむような頼りなさ、しかし同時に疑いようの無い力で迫ってくる、ある確からしさのようなものを信じて、主人公は手探るのである。メールで「すごいわ」と返信するのである。手探りながら、ドルチェアンドガッパーナやアップルストアUFJ銀行大丸心斎橋店の連なりの中、その只中に居る私やそれ以外の沢山の、仕事をしたり買い物をしたりご飯を食べたりしている人々が行き交っているという事が既に幸福で、その只中をゆく私のような誰かのようなある満ち足りた幸福感をあらためて発見するのである。目の前の景色も永遠に続く訳ではない事はよくわかっているのだが、でも何かは、永遠に続いているかのようなのだ。そのことの幸福なのだ。


…とても美しく気高く眩しい、すごく成熟した主人公という印象で、ああ、なんというか、こういうのは決して、自分の中には無い感覚だったなあと思った。