ロラン・ガルニエ


午前3時というのは、僕にとってはレッドゾーンというか、スキーのジャンプ競技で云うところの「K点」であり、それ以上飛距離を伸ばすとかなりのリスクを背負う事を意味するブレイク・ポイントなのである。でも、なんだか公私共に忙しくて、忙しいのに忙しくないときのしきたりを守った生活をしていると、どうしても寝る時間が「K点」越えしてしまうのだ。でもそれはそれで、まあいいと思う。K点を越えた先にしか、見えないものがある(と若い頃は確信していたのだが…)


laurent garnierの古いアルバムを一曲目から、朝の通勤時間と、昼休みと、帰りの電車とで、律儀に通して聴いていた一日。フランス人が作ったのに、当時のシカゴやNYの場末の匂いが充満するかのような音。歴史的な音、などという言葉は如何にも白々しいけど、この軽薄で無節操な音を聴いていると、歴史的という言葉が逆に音と馴染んでふさわしいものに思えてくる。歴史というのは、どこかへ輸入されるやいなや、たちまち激しく発酵して、そこではじめて歴史としての匂いを放つようなものなのかもしれない。