聴くために


小説を読んでいて、その話の中でたとえば登場人物が、たまたま通りかかっただれかの会話を丁寧に聞き取っているような場面に出会うと、自分がここ最近しばらく、そのようには身の回りの情景や通りすがりの人々を眺めていなかった事に気づいてはっとする。軽いショックを感じる。


自分を小さくしておかないと見えない事は多い。そうじゃないとたまたま通りかかっただれかの会話を丁寧に聞き取る事もできない。目の前に見えるすべてに対して自分から譲るようにして、そして自分が一番後ろで、一番低い場所に、自らすすんで移動するようにする。そうして着いた先が、何よりも自分にとって最も見晴らしの良い、最適な場所なのだという事を思い出す。他人と自分との比較や既存の尺度において、そこが相対的に良い場所だ、という事ではなくて、それがこの私にとって最も良い場所なのだという、過去にそう強く思った事実をよろこびとともに思い出すということだ。


どの場所にいようが、私にとってのよさ、最適さ、ということ自体を忘れてしまうと、たまたま通りかかっただれかの会話は聴こえてこないのである。といったような事を、ほんの些細な一場面から思い起こさせてくれる事もあるので、小説というのはやっぱりなかなか良いものなのだ。