ウィリアム・ケントリッジ


東京国立近代美術館で標題の作家の展覧会を観る。紙にパステルと木炭によるドローイングで描かれたイメージをコマ撮りしたアニメーション作品で、おそらく描いて一枚撮影、部分を消して少し移動したところを描いてまた一枚撮影、という手順で作られているので、黒パステルと木炭で描かれているから消した痕跡も生々しく動画として浮かび上がり、たとえば人物が移動するときは、その描線が消された痕跡をまるで黒煙のように後ろへ引きずらせながら移動していくような感じに見える。描き直しの行為を露呈させた状態で強引に連続再生させる事の迫力で見せるような感じである。


元々パステルや木炭はとても表現力豊かな素材で、それで描画されていれば誰がどう見たって動きとか運動性を感じさせられるようなものだと思うが、ここではむしろ、逆にその表現性の過剰さを逆手にとって、アニメーションの効果というか不可避的に発生してしまうノイズとして扱われていて、作家はかなり割り切った感覚としてしかその素材特性を捉えてないというのが面白いかもと思った。


でも作品自体としてはそれほどすごいとは思わない。モティーフというかテーマが社会情勢を扱ったシリアスで重い内容のものが多く、それがある種のアイロニーとかグロテスクとかユーモアをもってあらわされていて、ドイツ表現主義の現代版的というか、モノトーンで無骨な描線も昔のドイツ的な感じで、方法もアニメとかステレオスコープとかアナモルフォーズとか、懐古趣味的なものが多く、要するに全体的になんか一昔前の感じである。


とはいえ、紙にパステルと木炭の調子を見ているのはとても楽しくて、なので意外と面白く観ることができたし、観てよかったと思う。細かい事を色々言うより、僕もとにかく徹底的に手を動かさないと駄目だとあらためて思った。


常設展は前回とさほど変わってない。伊東深水「雪の宵」を2年ぶりに観れた。下駄の先についた雪、裾から半分だけ出て傘をもつ手のかたち…完璧すぎる。これの図版を何とか手に入れたい。


しかし、完璧だ、というときの「完璧」って、いったい何だろうか?