エッフェル塔


1889年に建造された。その外観は当時、賛否両論だった。19世紀に突然、おびただしい数の鉄骨が剥き出しになった状態で、あれだけの巨大さで、しかも高さ300メートルの建造物を、いきなり目の前にして「うわーこれはすごいね!」と無邪気にこころから言える人はそう多くないだろうという事で、この話は充分に納得できる。「反対派の文学者ギ・ド・モーパッサンは、エッフェル塔1階のレストランによく通ったが、その理由として「ここがパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と言っている。」(wikipedia)


映画「大人は判ってくれない」のオープニングシーンは忘れられない。エッフェル塔のもっともエッフェル塔らしい感じの映像だと思う。これを「なんて醜悪な建物だ!」という人がいるのはとてもよく理解できる。たしかにそうだ。その醜悪さが結局そのまま美しさなのだが。。


今年に入ってからずっと福田和也昭和天皇」を読んでいる。いま第二部の半分くらい。1921年、皇太子がヨーロッパ諸国が外遊中である。とても楽しい。例によって毎日これを読んでるときだけが楽しい。

 エレベーターは、三階の展望台まで、一気にあがった。
 三階の高さは、二百七十六メートルである。
 その高さからの眺望は、芸術作品としてのパリの印象を、いよいよ鮮やかにした。
 絶景に見とれているうちに、山本新次郎海軍大佐は、裕仁の姿を見失ってしまった。
 すこし慌てて、その姿を求めると、土産物屋の前にたっていた。
 山本の顔を見ると、彼の人はにっこり笑い、「良子さんに、買っておいて」と、木でできたエッフェル塔の模型を指差して、山本に頼んだ。良子とは、皇太子妃に確定していた久邇宮良子である。
 さらに皇太子は、「敦宮さんにも…、絵はがきも」と云い出して、土産物屋の親父を破顔させた。
 ふだん買い物をしないために、こうした時に弛んでしまうのか、弟たちだけでなく、侍従の誰それに、というように数がかなりふくらんだ。
 とはいえ、皇太子のお土産が、エッフェル塔の絵はがきというのは、可憐だ。
 勘定は、二千七百五十フランだった。
 山本は蒼白になった。
 持ち合わせがなかったのである。
 急いで石井菊次郎にきくが、石井も持っていないという。
 手元に金がないというだけでなく、ほとんどの者が、財布さえももっていなかった。
 西園寺八郎が機転をきかせて、時事新報の後藤に金はあるか、と尋ねた。記者だから当然、ある程度の現金をもっている。すぐに後藤は金を渡した。
 後に西園寺が返しにいった金を受取ってしまい、皇太子に金を貸しそこねた、と悔やんだという。
 皇太子の買い物はともかく、当時の外交官や高級軍人が、こうした状況で財布をもっていないというのが面白い。
 現金の出番など、外遊ではありえないということなのだろうか。
 浪費ばかりがとりあげられる近年の外務省とくらべると、のんびりしているというだけではない、雅な心持ちさえする。
(昭和天皇 第二部139〜141頁)