地図


今日は寒いと云われたが外を歩いてみるとそれほどでもない。日中は快晴。気温は低いが昼夜通じて快適。岩本町から靖国通りをひたすら歩く。そしたら10分程度であっという間に淡路町あたりまで来てしまい、なおも歩き続けると小川町や新御茶ノ水もあっけなく到達してしまい、やがて神保町の街並みが見えてきた。そのままもう少し何も考えず歩を進めて、白山通りと隣り合った裏手の道を適当にジグザグしながら歩き続けているうちに、水道橋にまで至りそうになって、そのあたりで引き返す事にした。僕は、実にすばらしいと思った。今まで自分が知っていたのは、秋葉原の周り、お茶の水の周り、神保町の周り…という事だけだったのだが、それらをつないでいる空間の奥行きを歩いていることでリアルに予感できた。


地図を見る事の面白さとは、実際に歩いているときの感覚をまったく違った質の経験へと変換させる事ができる(ような気がする)事の面白さなのだと思う。それは、たとえば実利的に「あの店を探す」みたいな理由で地図を見ているときでさえ、そうである。実際に歩いて、あの店を実際に目の前にしたときの感覚は、地図で所在地を確認しているときの感覚とまったくリンクしないからだ。


歩いているだけだと、空間とか奥行きは実感できない。空間とか奥行きの(かりそめの)実感とうのは、地図を見ているときの感覚で、実際に歩いているときは、目の前の視覚的な衝撃とそれ以上の事が遮蔽されている事による想像のちからと身体への負荷が経験の大部分をかたちづくる。それはあとから地図を見る事で解消されたり理解されたりするような類のものではなく、それ自体として何度でも反復されるべき事だ。