待った


大体1時か、遅くとも2時には着くとの事だったので、近くの喫茶店で待つことにした。コーヒーを注文して、携帯をテーブルの上において、あとは読書したりスケジュールを確認したりしながら待った。やがて2時を過ぎたが、まだ連絡が来ない。読書が進む。さらに30分経過して、ようやく電話がかかってきたと思ったら、予定より大幅に遅れているので、到着まであと1時間ほどかかりそうだという。仕方が無いのでさらに待った。何となく読書の集中力が途切れてしまい、本を一旦閉じて、あたりを見回したり、周囲の話し声に聞き耳をたてたりしていたが、やがてそれにも飽きて、やはり読書に戻った。ずいぶん長い時間をこうしているとつくづく思った。2時間か3時間程度の時間だけど、今の自分にはずいぶん長く感じられた。喫茶店でひたすら待つなんて、よく考えると、こういう経験は何十年ぶりとか、それくらい久々かも。いやもしかしたら、こんなに待ったのは、生まれてはじめてだろうか?…いやいや、いくらなんでも、さすがにそんな事はないだろう。数時間待たされた経験なんて、いくらでもあるはず。でも、待つというのも色々なパターンがあって、少なくとも今、待つ事に関してここで感じている「この感触」は、もしかすると会社勤めをして以降は、ほとんど初体験、かもしれないぞ、と思った。だったら会社勤めをしてない頃、学生の頃とか、何にもしてなかった時代は、こんな風に何時間も待った事があるのか?と言ったら、あの頃はたしかに、あったような気がする。こういう「待ち」の時間は、確かにあった。それも具体的な「誰か」を待っていたのではなく、いや待っていたのかもしれないが、その相手が来るか来ないかはあまり重要ではなくて、ただぼんやりとひたすら目の前の時間が流れ過ぎていくのをぼーっと見つめているような感じで。約束も目的もきわめて希薄にしか感じられない日々の、まったく目に見えない芒洋としたなにかを、だたひたすら待つともなく待っていたような昔のかすかな記憶。