2099


会社の飲み会で隣の人と「いつか死ぬよね」という話をした。その人がいうには、何かの話で読んだらしいのだが、携帯の時計を進めると一番最長で2099年だそうで、それを見て、少なくとも2099年までは、とりあえずあるんだ、と思ったのだそうだ。でも僕たちは2099年までは確実に生きてない。生きてない以上、それが本当にあるかどうかは確かめられない。肝心なのは、本当にあるのか無いのか?という事よりもむしろ、確かめられない、という確実な事実の方にあるような気がする。確かめられない事が確定している事に関して、どのように考えれば良いのか?2099年が実在するのか確かめられないのと同様、我々は死に至るかどうかを自分で確かめる事もできない。


あと半年で死ぬとなったらどうするか?という話のとき、前述の話の気分のまま、その残りの半年の気分にうちのめされるのと、「いやー俺は残り半年なら…」という安定した想像を膨らませる事ができるのとでは、同じ質問とは思えないくらい反応の質が違う。肝心なのは、半年という時間単位のものすごい変質なのだ。そのときが来たら、今までの半年とそれからの半年は、決定的に変貌してしまう、という事にまず驚かないと駄目なのだ。それと較べたらあなたの人生なんか何の問題でもないのだ。


話の相手は、昔、死ぬのは怖くないの?とおじいちゃんに聞いてみた事があるのだそうだ。そしたらおじいちゃんは、みんなと一緒だよ、みんなが思うのと同じように怖いよ、と答えたのだそうだ。それを聴いて、その人は、おじいちゃんでも死ぬのが怖いのなら私なんか、もう、まったく救いが無いではないか、恐怖に打ち勝てないじゃないか、と絶望的な気分になったのだそうだ。しかしそれを孫に聞かれてしまうおじいちゃんもつらい。年配者が答えるべき質問としては、あまりにも重荷ではないか。


別に今までほとんど楽しくないです。半分以上、とくに楽しくないし実感ない感じで、このまま死ぬのもこれでいいのかなあっていう感じなんですよーと云うので、うーん確かにそうかもしれないけど、でもたぶん、半分くらい、かすかに楽しかった事が、たぶんそれが一番楽しいっていうか、逆におそらくこれから色々あったとしても、たぶんそれよりも面白い事ってあんまりないと思うよ。それだけが面白いことだと思うよ。音楽とか映画とか、そういうのだけが楽しいんだと思うよ。と答えたら、あーやっぱそうなんですかねーと云ってその相手はうーんと考えていた。