きゅうくつな板囲い

この隔離天幕にくる前にいた建物もおかしなところだった。南京城内のどこかにある、がたがたのバラックだが、まんなかに土間の通路があり、通路の両側が、板張りのせまい囲いになっていた。ほんとにきゅうくつな板囲いで、足をのばして寝るどころか、からだをおりまげて寝るのにもせますぎた。そこに、なん人かずつつめこまれたのだが、これは、なにかの動物の小屋だよ、と言いだす者があった。なにかの動物といっても、牛や馬の囲いにはせますぎる。豚やニワトリをいれてる囲いにしてもおかしい。動物の小屋だ、動物の小屋だ、とぼくたちはさわぎながら、やはり、きゅうくつでも、こんな板囲いのなかにいられるのはニンゲンだろう、とおもった。(田中小実昌「寝台の穴」)


この箇所はもう、筆舌に尽くしがたいものすごさだ!!あまりにもきゅうくつで、これはいくらなんでもおかしい。何かの動物の小屋だと騒ぎながら、いや、牛にしても豚にしてもニワトリにしても、どうもおかしい、とか思うあたりが…いや、そういう君たちはニンゲンでしょ!?あなたたちが自分で「きゅうくつだ」と感じてるなら、それは牛や豚やニワトリにとっておかしい、というのと同じで、ニンゲンにしても、同様におかしいのではないのか??そう判断しないとおかしいだろ?と言えそうで、でも言えない。「こんな板囲いのなかにいられるのはニンゲンだろう、とおもった。」という言葉が出てくる瞬間に、誰もが、そりゃそうなんだろうな、と納得してしまうようなものすごい迫力がある。牛や豚やニワトリのためじゃないだろう…じゃあニンゲンだ。たぶん俺たちだよ。みたいな(笑)…それでもかすかながら後味の強い最初の不条理さだけは心の中に残っているので、何度も読みかえして、そのたびになんとも云えない感じで、できれば牛や豚やニワトリ用であってほしかった、みたいなかすかな願望感まで感じられて、思わずヘラヘラと笑ってしまう。