セキュア


歩き始める。いつもの道。やがて駅について、改札には向かわず反対側の出口へ出てそのまま歩き続ける。駅の反対側の方にもかつて住んでいたことがあったので、その当時は毎日歩いた道だが、でも何年ぶりの事か、久しぶりに歩いて正直、自分の最寄り駅の反対側の風景とはとても思えないという印象だ。まるで最寄り駅とはまったく別の郊外の寂れた街並みをふらふら歩いているような気分だった。ほんとうに自分が、かつてこのあたりを毎日歩いて買い物したりもしながら過ごしていたのか、ちょっと信じられないような思いだが、でも同時に、懐かしさも感じているのだ。それにしても様々な店舗のおそらく半分以上は閉店して無くなってしまっていて、空きテナントの貼り紙とグレーのシャッターがどこまでも続いていてずいぶんと寂しい感じだったし、それをあまり他人事にも思えないくらいには、この僕も今を「不景気だ」と思ってしまっているかもしれない。


そのまま東京拘置所まで歩く。東京拘置所といえば、あの有名などこまでも続く薄暗い色のコンクリート塀のイメージだが、それがいつの間にか、あの塀が、取り壊されて無くなってしまって、今は拘置所内施設なのか民間のマンションなのかよくわからないような建物が、近くに隣り合うようにして建造されているのが、普段電車に乗ってるときの窓の外の景色からも見えていたので、今のあれは、一体どういう状態なのかを、散歩がてら近くまで歩いて行って確かめてみようということでそこまで行ってみた。


綾瀬川を渡った後、見慣れたはずの塀とそれに沿って続く筈の細い道路が、完全に跡形もなく消え去っていて、代わりに巨大で殺風景でまったく人の気配がかんじられない建造物が聳え立っていて、周囲も、出来たばかりの舗装道路や人工的に区分けされた植樹や芝生などで一帯が丸ごとリニューアルされていて、しかし見渡しても周囲は完全に無人で、建物内部もまだ全室未入居の感じで、建造が完了したままの状態で、蜂の巣のように並んだそれぞれの部屋の、カーテンもないガラス窓越しに、内部の部屋が外から丸見えだった。まるで核戦争後の無人の世界、みたいなそういう感じ。


で、これが拘置所の施設なのか、全然別の施設なのかが、近くで見ていてもやはりわからないのだ。いや建物の感じだけ見れば、どう見ても監房には見えず、完全に民間施設なのだが、でも東京拘置所の巨大なビルがすぐ背後に聳え立っていて、その拘置所の建つ地点と、手前の施設の地点に、とりあえず何の区切りもないのだ。というか、その意味では僕が歩いているこの場所との区切りもないといえばないのだが。…いずれにせよ手前の建物と奥の拘置所がまったく無関係なものと判断するのは難しいと感じられる。


で、その後、家に帰ってきてから調べたことを先に書いてしまうと、この建物は国家公務員用の官舎だそうだ。今の東京拘置所は数年前に新舎房ができて、そのセキュリティが万全なため、従来の敷地や塀が必要ではなくなってしまったので、あらためてその敷地を官舎建造のために再整理したらしい。…しかしそれにしても「セキュリティ」というのはそういう事なのか…とあらためて思った。自分の観念としては、拘置所とか監獄と呼ばれるような場所とは、そうではない場所と、少なくとも今までの常識で考えれば、必ず明確な区切り線があるというのか、要するに塀があって、その外側はシャバで、内側は「塀の中」ということなのだと思い込んでいたが、今の「セキュリティ」技術なら、場と場を区切るための塀という余計なものが必要なくて、建物だけで、拘置所とか監獄として存在できるということだ。脆弱性への対策がどんどん向上していくと対策それ自体が不可視となっていって、その結果、あたかも芝生と小道で整備された同じ敷地内に見えるような地平に、官舎と拘置所が隣り合って立つような感じなのだ。…ということでいやーすごいね、と思いながら小奇麗に整備された道を歩く。左手に見える高速道路の高架の非人間的な感じと綾瀬川のもはや絶望的なほどの水の汚さだけが、何も変わっていない。


そのままひたすら歩いて、荒川沿いの土手を歩く。シロツメクサがたくさん咲いていて、おもわず子供の頃を思い出した。そのまま千住新橋を渡ったが、橋の手すりが新しいものになっていて、それが何だか妙に低いというか、腰よりちょっと上くらいの高さしかなくて、数十メートル下は広大な芝生のグラウンドと川で正直目がくらむ。これはちょっと落ちたら確実に死ぬだろうと思ったら怖くて手すりのそばに近づけない思いがした。というか、なんでああいう手すりのデザインになっているのだろうか??あれで安全基準はほんとうに満たされているのだろうか?というか、もしかしたらあの手すりも、まさに現代の技術を反映していて、一見不安を感じるかもしれないけど、実はあのくらいの高さでも構造上、橋を歩く人間はそうそう容易には落ちるものではないとか、そういうセキュリティ対策が施されているのか?そんな想定があるのだろうか?


で、橋を無事に渡りきった後で図書館に行った。