笑う


暑い一日。雨が降ると聞いていたのだが空の様子や降り注ぐ暑い日差しを見て感じる限り、そうは思えない。いったいどうなっているのか?今のところはまったく天気が崩れそうには思えない午前中。犬がこちらに背を向けて、だらしなくしゃがみこんでいる。やや外側に開き加減で踏ん張ってるみたいな二本の前足で、かろうじて上半身を支えて身動きもせず何を見ているのかぼんやりとした後ろ姿。そのツルンとした後頭部を見ていて、振り向かせて犬の顔を見てやりたかったので、おい、と言って舌を鳴らしたりして注意を向けさせようとしたが、犬はまったく反応せず、こちらの物音に気づきもしていないようで、ただ同じ姿勢のままぐったりと、後頭部から背中にかけてのなだらかな犬のからだのラインを、こちらに見せ付けているだけで、そしたらしだいに、その背中が徐々に後ろのほうに、つまり僕から見て手前の方に倒れてきて、犬は上半身を二本の前足で支えることをやめようとしており、地面に接していた部分が後ろ足と尻の部分からわき腹から背中になっていって、ゆっくりゆっくりと寝そべりはじめて、ついにはべったりと、身体の半分と頭部の片側の裏返った片耳までをだらしなく地面に密着させてしまった。そしてなおも、こちらを見ようとはしない。


いま朝日新聞の土曜日で連載されている磯崎憲一郎「作家の口福」の今日「自分でもまったく意外なことだが俺は料理のできる大人の男になるのだな」などと思ったりした…と書いてあって相当笑った。そもそも文學界の七月号の磯崎憲一郎「アウトサイドレビュー/平成二十二年大相撲五月場所、八日目はそれが発売されて一番最初に読んだ時点でものすごい面白さだと感じたのは無論の事だが、その後再読してあらためて思った事として個人的には、とにかくいちばん面白い箇所は、恐らく二十四、五歳の若者に、通りがかりの杖をついた老人が「ひとりで来たのか、偉いな」と話しかけるところで、っていうかそれっていきなり何だよ!あたまがおかしいでしょ、通りがかりの杖をついた老人っていきなり何だよそれわはははははははは!!とひたすら笑い続けてしまって、それからというもの、最近は磯崎憲一郎の文章でかならず笑ってしまう。にんまりするとかくすりとする、などという事ではなく、完全にツボに入って、かなりの長時間、爆笑してしまうし、後で思い出してもだらしなくいつまでもへらへらと笑ってしまう。というか最近ではむしろ、最初から笑う気満々で読み始めるというところさえあるかもしれない。この面白さは所謂、物の言い方の面白さではなく語りとか文体の面白さでもなく、たとえば同じような口調でモノマネ的にここでそれを繰り返してもまったく面白くなくて、そうではない面白さがあって、それを読むときになぜかよくわからない原理で笑いのスイッチを起動させられてしまうという感じなのだ。で、いつまでたっても「どう考えてもおかしだろ完全にあたまがおかしいでしょいくらなんでもバカすぎるだろ」とげらげら笑いながらつぶやくしかなくなるのだ。個人的には「ワカコウユー!」とか「カイオー!」…「いいぞ、カイオー!」のところでは笑わないで行けるのだが、でもなぜか全然別の箇所で呆れるくらいあっさりと完全に陥落してわははははははと声を上げてしまうという感じ。今日などは家を出てから駅まで歩いている間、ずっと色々思い出して、歩きながらいつまでもげらげらと笑っていた。