「こんなことがつづくはずがない」


寝ても覚めても」というのは、「昼も夜も」ということで、「降っても晴れても」ということで、「高揚が沈黙するとき、わたしは、すこぶる単純な哲学へ追いこまれる。辛抱の哲学(本物の疲労にとってはごく自然なもの)である。わたしは耐え忍ぶ。ただし甘んじるのではない。あくまで固執して慣れることがない。たえず死物狂いで、ついに意気喪失することがない。わたしはダルマ人形なのだ。足のないおきあがりこぼしなのだ。いくど転がされようと、内部にあるおもりの性で(しかし、わたしのおもりとはなんだろう。愛の力でああるだろうか)、最後には(傍点)まっすぐおきあがる。日本のダルマ人形に添えられた伝承句の言うとおりなのだ。

人生はすべて
七転び
八起き (恋愛のディスクール・断章 214頁)」などということでもある。ジャズのスタンダードナンバーには「七転び八起き」というのがない。「七転び八起き」という言い方の時点ですでに、七回とか八回を数として数える上から目線の存在しているところがうざいのだ。日本人にとってはだから「七転び八起き」は決して良い方向に向かっていく言葉ではない。でもロラン・バルト経由でなら、ずいぶん違う感じに思える。