子供


福永信の「星座から見た地球」を読むが、あまりよくわからないまま読み終わってしまった。読了して、それを伝えたら、この小説が相当好きらしい妻は、大層がっかりしたようだった。人それぞれだねと。先週かその前くらいから、早く読め読めとやたらせっつかれていて、やっと今日朝から読み始めたのだが、結局一度も波に乗ることすらできずに読み終わった。でもまた、忘れた頃にもう一度読むだろうとは思った。


その後、買い物をしてきて、テーブルに色々と並べて、酒をのみながら、僕は妻に対して不毛な言い訳に終始した。「子供」が活動しているようなイメージに僕は基本的に入っていけない。子供と自分との間に、固い壁があるように思ってしまう。それは自分にも「子供時代」があった筈だがそのことを思い出せないから、という事ではなくて、むしろ僕は世間一般の「大人」ではなくて、たぶん「子供時代」からそのまま今に至っているから、自分の感覚が「子供時代」からずっと断絶する事無くつながっているかのようにさえ感じているところがあるのだと思う。だから、それが逆に、「子供」が活動している状況に対して、自分がそれを感受したとき、何かしら固い壁を感じる。端的に言って「子供」という風に切り取られた何かというものを、僕はあまりよくわからない。自分が大人か子供かもよくわからないし、その違いみたいなものにどのよのような意味作用がぶらさがっているのかもよくわからない。しかしそうやって話しながら、次に読んだときには今日ほど「子供」という事に囚われずに、もっとラクに読めるだろうとも思った。ラクに読めるというのは、それだけ些細な事や細かなことも一々拾い上げて、それだけの機敏さとスタミナに支えられて、読めるということだ。それだけ活発に満足できるポテンシャルで読めるということであろう。


そのほかにも色々と読み散らかす。半分以上の時間は、あまり面白くない。でも夜になってきたら少し面白くなってきた。


味噌と豆板醤とタバスコと唐辛子を和えた辛味噌ダレでエシャロットを。塩で網焼きしたしし唐を。香りソルト<4種のペパーミックス>あるいはマヨネーズでブロッコリを。鯛のアクアパッツァを。ワインで。