古着


吉祥寺で古着屋を三軒か四軒見1て何も買わず。色とか、襟とか、ステッチとか、ワッペンとか、どうでもいいような細かい部分ばっかり見て、その些細なところが気に入ったら買うとか、やっぱやめるみたいな、そういうことでしかないなあと思いながら、でも逆に、そういうところでしか選ぶ理由がないのだし、あれ、そういうところを見てるんだっけ?何を見て何を買いたいんだっけ?とか思いながら、まあそれは古着が、もともとそういう風に存在していて、というか、どの服も、はじめは例外なく、もともとの由来とかニーズから生まれて、みたいな、もっともらしい、如何にもな、きいたふうな話が思い浮かんで、でも何ヶ月か何年かして、色々の、紆余曲折あったのち、とりあえずの役目を終えて、またさらに何年も経過して、なぜか日本とかに来て、武蔵野市の一角に、とくに何のあてもなく、あっさりぼんやり、ぶら下げられるようなことになってしまって、それを今僕みたいなものが、それらを物色しながら、それぞれの洋服たちの来歴を、あれこれ想像したり…するのも、楽しいといえば楽しいし、まあ、実は別に、そんなことは別に、楽しくないというか、まあ、どうでもいいといえばどうでもいいが、どっちかっていえば、まあ、楽しいかもしれない。でも何も買わず。まあ、でも面白いからまた来て色々物色しよう。安いし。音楽は、今日は、ざらっとした、べたな、いなたい演奏が聴きたかったのだが、iphoneには入れてなかったので、頭の中で空想した。