自転車が走って行く


自分の脇をかすめて、自転車が走り去っていった。後ろから自転車が来ていたのだ。後ろから来た自転車が、僕のすぐ近くを通り過ぎて行った。自転車は、僕の目の前からどんどん遠ざかっていった。しかしふいに、間近に金属の物体と人の気配が唐突に近づいてきた感触だけは、いつまでも身体の傍から消えない。自転車はいつも、背後からふいに来るのだ。この前など、あの細くて大きな、ぐるぐる回転するゴムのタイヤが僕の靴のかかとをぐりっと踏んで、そのまま何事もなかったかのように、その自転車はいつものように、背後から僕の傍を通り過ぎて、走り去っていった。タイヤに踏まれたはずの僕のかかとは、さいわいとくに何ともなく、靴の表面もとくに何の変哲もなかった。しかし僕は、それを危ないと思い、憤りを感じて、さすがに相手の顔を見た。どんどん遠ざかる相手の背中ではなく、なぜか顔を見た。なぜ見る事ができたのか不思議だが、顔が見えた。相手は妙に生真面目そうな、余計なことを考える気など全くないような表情で、口元を硬く結んだまま、ただひたすらペダルを漕ぐことに集中して、自転車をぐんぐんと進めた。でもたぶん、僕に顔を見られていることをずっと意識していた。僕はそれで、追跡をあきらめた。追跡をあきらめたと言っても、視線の先を元に戻したというだけなのだが。で、さらにそのとき僕の背後には、すでに子供が二人で並んで自転車を漕いでいて、やがて車間距離を空けて僕を左右から挟みこむような感じで追い抜こうとしていた。その様子は、当然ながら、僕の背後の状況なので、僕からは見えないので、その情景は想像上のものだが。歩いている自分にしてみたら、自転車というものはいつも大抵、ふいに背後にあらわれて、風を舞い上げて自分を追い越し、そのまま前方に走り去っていくようなものなので、僕が歩いていたら、左右から自転車があらわれて、自分を追い越して走り去っていくような感じだったところから、子供が二人で並んで自転車を漕いでいて、僕を左右から追い抜こうろしている状態を知ることになった。そのときふいに、間近に人が来た感触はあまりなかった。子供が、前傾姿勢で必死に自転車を漕いでいるのを、あたかも並んで並走している列車の客室の窓から僕が見ているような感じだった。しかし僕も移動中の身だが、自分の移動スピードと彼らとでは速度が違いすぎた。右と左に分かれて、僕を追い越した子供たちの自転車は、前方でふたたび二台ゆっくりと距離を近づけて元の並走状態に戻りつつ僕からはぐんぐん遠ざかり、たちまち見えなくなった。