上演中


照明を落とした会議室の前面にプロジェクターの光が反射していて、ウィズ・ザ・ビートルズのジャケットみたいな感じに顔の縦半分を闇に溶け込ませたまま、Sさんとそのチームメンバーは初対面の人々何人かと対面し挨拶する。これですべての役者が揃ったとSさんは思う。脇役まで勢揃いしている。もちろん普通に考えたら脇役の人々が本来は中心で、Sさんの方が脇役で、いや脇役どころかSさんの立ってる場所は世界の最果てだが、でもそこが最果てであってもSさんから見ればSさんの視点がSさんにとっての中心である。たしかに物語を書くのは彼らだけど、その物語の配役である演技を強いられるSさんから見て、彼らはその配役を与えられてパフォーマンスを求められているSさんの世界における脇役。これから長期にわたり様々なかたちで彼らが担うミッションの一部に、Sさんのチームが協力する、と言っても、Sさんの視点から見た彼らのミッションを、Sさんのやり方で詳細設計して、それに取り組み、成果を報告する事でしかない。いやそれどころかSさんはまだここに来て間もなく、まだこの空間全体に慣れておらず、周囲から浮かび上がった異分子のような感じなので、いわば急にこの芝居の舞台に紛れ込んでしまって、笑ったり泣いたり怒ったりの顔を目まぐるしく切り替えつつばたばたと無理やりの誤魔化しの演技に紛らわせつつ、机の下でひそかに台本を読んで慌ててページをめくって次のセリフを目で追っているような状態なので、だからいきなりそんな脇役たちとの対立的シーンに図らずも立ち会ってしまって、その場の流れに落とし込められているように感じられなくも無いこのシチュエーションが、妙に面白いと感じているので、Sさんは大真面目な顔をしているものの、ちょっと気を許すと思わず噴出しかねないような仏頂面で眉間に皺を寄せて黙って腕組みしている。その唐突な展開に無理やり自分が乗っかって、なにやらもっともらしい顔をしている事自体を自分でも妙に滑稽だ、面白いと感じながら、そのまま相手と有効の握手をする事もありうるだろうし、反対に敵対する事もありうるだろうと思っている。そんなの、どっちだっていいことだ。なにしろ今日まで、いきなりの登板に終始おどおどして、それまでの文脈も役目も何もわかっておらず、たえず相手の顔色をうかかい、若い娘や子役の役者が通り過ぎるときさえへどもどして何度も謝ってぺこぺこ頭を下げて中腰のままふらふらしていたのだから。でも、あるときを境にSさんには、この催し自体とそこで演じられているものがたりがかろうじて見えてきて、今夜が公演の何日目で今が何幕目でどういう場面が演じられていて、そもそもどういう演目で誰が役者で誰が裏方でこの後何がどうなってこの後どうなると客が喜んだり泣いたりするのかも、だんだんおぼろげながらわかってきて、そんな中での配役としての自分の位置が、あらためて薄ぼんやりと見えてきて、Sさんはそこから確信したのだ。これはもうわかったと。一旦そうなったら、水を得た魚のように、たっぷりと水を吸い込んで生き返ったように、気が狂ったようにはりきって、過剰に演技し始めて、喜びもかなしみも過剰そのもの。という感じで猛烈なパフォーマンスをようやく数日前から開始したところだったのだ。いまはもう、この芝居全体が俺のものだと言わんばかりの張り切りようである。この張り切り方が如何にも三流役者というもので、ああこいつはわかりやすい三流だな、ちょっとバカだけど根は善良でいいやつだとか思われて記憶されるのも仕事のうちだというのも、もちろんSさんはちゃんとわかっている。