青菜


子供の頃は嫌いで食べられなかったのに、大人になっていつの間にかそのうまさがわかる食べものは多い。最近よく思うが、ほうれん草のおひたしなんかは僕にとってそういう食べものの代表格である。子供の頃は、本当に嫌いだったのに。青臭くてしかも湯がいた後の歯ごたえも腰もなくしんなりとした気持ち悪さの中に味も素っ気もなくて苦味と青臭さだけが平然と主張していて、どこにも一個もひとつとしておいしいと思える点が見つからなくて、ほとんどバカされているかのような気にさえなったものだ。なんでこんなものを喰わなければいけないのか。ほうれん草と呼ばれるこの物質が、なぜこの世の中に実在しているのか、つくづく不思議で、それでも親から無理やり食べさせらて、胃や食道が異物の侵入に対して必死に逆顫動して身体の外へと押し戻そうとして、結局しまいにはげろげろげろーと盛大にやった事もあったように記憶する。


でも今になって…たまに食卓にのぼるほうれん草のおいしいこと。鰹節と醤油またはポン酢でいただくのだが、その香り、触感、歯ごたえにもう思わず、唸り声がもれてしまうくらいに、まあなんて美味しいのだろうと思ってびっくりする。この幸福感はいったいなんだと思う。葉の柔らかさ、茎のかすかな歯ごたえ、それらがぎゅっと絞り込まれて皿の上に重ねておかれているだけで、深く水分をたたえたしっかりと濃い緑色を見ただけで嬉しくなる。もちろん、あたたかい蕎麦のつゆに沈めても旨い。ああ、それにしても蕎麦が喰いたいなあ。鴨南蛮か牡蠣南蛮が食いたいなあ。柚子胡椒をびしっと効かせてね。七味で真っ赤になった、赤い塵が粉雪のように舞っているつゆを飲み干して、辛さにむせそうになるのを必至に堪えながら最後までずるずるとかきこみたいなあ。