寒さ


猛暑。炎天下。すさまじい暑さ。セミの声。もえたつ緑。陽炎で視界が揺らめいている。直射日光を受けた皮膚が焼付きそうだ、と書いても意味が逆なだけで気分としてはあながち間違っていないと思われるほど、今日は極端に寒かった。身体に直接圧し掛かってくるような寒さ。痛みとしての寒さ、重みとしての寒さ、人の気持ちを「あぁこれはかなりやばい」と滅法悲観的にさせる威力をもった寒さ。極寒、はげしい寒さ。刃物のように身を切る風。みるみるうちに失われ地面を伝って逃げていく体内の熱をなるべく逃すまいとしてひたすら力んでいる筋肉の緊張と不自然なほど意識にのぼる粗く忙しない呼吸と胸の鼓動。あまりの寒さに、小動物のような呻き声を歩いていて思わずあげそうになる。冷気が、透明で肌理の細かいガス状の気体になって首筋や足元か衣服の真裏にするどく入り込み高速で沁みこんでくる。時間を経てそれが全身を覆ったときにきっと意識を失うのだと思った。それはもしかすると裏を返したかたちで全身から冗談のようにたまの汗を後から後からわきだたせて着衣すべて水をかぶったように濡れてもはやどうしようもない炎天の極限でついに意識が薄れかけた自分がその後で運び込まれた部屋に久々に戻る事かもしれなかった。それにしても今年の夏の暑さはほんとうに異常だった。ほんの五分かそこら外を歩いただけで水をかぶったかのように汗だくになってどうしようもなかった。これほど暑いとこの世に冬という季節や寒さという感覚が存在しているということが信じられなくなってしまう。今こうして実際ここに汗だくで呆然と立っていて真夏の炎天下の空気の揺らめきの中にいて、これがあと半年もすれば空気が肌にひんやりとして晴れだろうが曇りだろうが気温は上がらず熱が事物に一定時間留まることをやめてしまい、外出時には衣服も身体をしっかりと包み込むような毛織物や防寒系のごわごわした厚手のものを重ね着して寒さを遮断して身体を守る必要があるというような、一連の冬支度に関する想像の出来事ひとつひとつがにわかには信じがたく、寒さに直接身体を晒すことの苦痛という感覚がまるで冗談のように感じられて、いや理屈ではわかっても実感としてまったく想像できなくて自然に納得できなくなってしまう。冷房の効いた部屋のエアコンの前でいつまでも涼んでいるときの何倍も寒い。寒くて寒くて死にそうだ、というくらいの寒さ。指先や足のつま先が痛みを通り越して感覚を失くしてしまう。血液の循環すら止まってしまう。そんな、いてもたってもいられないような、全身の血液をゆっくりと抜き取られて、力という力すべてを奪い取っていかれるような、このままだと生命の危険さえ感じてしまうような寒さというのがあるのだったっけか。全身をいやらしく覆うべたべたとした汗と湿気の暑さで死ぬことはないが、それよりもよほど清潔で冷却されて澄んだ空気の中にいた方が快適さから遠いというのが今はどうにも納得できない。単純にはやく真冬になればいいと思ってしまう。もちろんいざ冬になればまた別の事を考えるだろうが。