白日


昨日も今日も素晴らしい快晴。激しい光の直撃。通りを歩いていても視界に入るほとんどの事物が白く光ってしまっていてほとんど何も見えない。自分が移動するたびに飽く事無く盛大に明滅し続けるストロボ。なにもかも自ら発光して己がかたちを失っているような状態。世界の物質感まったくゼロ。とにかく溢れんばかりの、あたり一面がとてつもない光量。どれだけすさまじい明度であることか、想像さえ難しい。これほど大量の光に包まれていることについてちゃんと考えていきたい。計測して一立方メートルの体積内に大体一時間あたり数千万から数億にもおよぶ尋常ではない量の光が降り注いでいることになると思いたくなる。光も物質である以上枯渇の心配はないのか。一気にドカ光が降っておもてに出られない。積光量は東京で50センチくらい。首都圏の交通機関は通常通りの運航だ。それほどの状態だということをもっと強く意識すべきだ。これほど大量の光の中にいると、もう自分が何かを操作するなど不可能だ。インターフェイスを介してメディアに接続する事も不可能。自動車の運転は可能だ。自動車は結局室内にいるのだから。あれは映画を見ているようなものだ。しかし今日の天気だと屋外で直接光を浴びながらでは、人間が何かを操作するのは無理だろう。これほどの光だともう、自分からその光を遮蔽させない事には何もできない。ただ光を浴び続けるしかない。光を反射する物体としての自分を認めるしかない。


読書は今日の天気と関係ない。今日が晴れだろうが雨だろうが、本を読み始めたらそんなのはまったく関係なくなってしまう。まあ、映画もそうだ。美術や演劇も室内で鑑賞すればほぼ今日の天気など関係ない。しかし美術や演劇の場合、自分のいる空間・環境と作品のある空間・環境が地続きである事は、映画や書物との大きな違いだ。音楽は、また特殊なところがあるのだが…音楽はすごくテクノロジーとの親和性が高いので、たとえば今日のような素晴らしい快晴で、とんでもない光が降り注ぐのでそののせいで音楽が体験できないという事はまずない。これはやはり凄いこと。


最近もし仮に週末にもっと曇り空とか雨だったなら、もっと本ばかり読んだことだろう。天気が良いと読書は難しい。快晴が読書にとって一番の敵だ。