電車の床、光ってる


当然のことながら、金曜日の朝にはまだ、こんな恐ろしい事が起こるとはまったく思ってなかった。一昨日の朝はいい天気であった。そのことはおぼえている。「電車の床、光ってる」とその朝に書いたメモがあるから。朝の8時半くらい。東横線の各駅停車に乗って本を読んでいた。朝の、太陽の光が窓ガラスを通して車内に差込み、床全体が水面のように輝いていて本から目をはずすと眩しくて目が開けられないほどであった。何かが起こったら、死んでしまうかもしれない。というか、いつかは死んでしまう。しかし何かが起こるまでは、同じように生活するということ。もちろん対策や学習やら、色々とやれることはやるだろうが、基本は昨日までと同じように今日も明日もやるということが、世のため人のためということなのかもしれない。皆が「こんなことを続けていて…」と心のどこかで思っているのかもしれないが、しかしそれでも外面はいつもどおりの態度で粛々となすべきことをなす。それが社会貢献なのかもしれない。なので月曜になったらまた、電車に乗って通勤するのだ。それは自分のためでもあるし、世のため人のためでもあるのかもしれない。いやほんとうかね。よくわからない。でも昨日と同じように明日もやるのはおそらく間違いないと思われる。