Weather Report


今日は結局一日中、テレビとインターネット見てただけだった。途中、読書もしようかと思ったが、ほぼ何も読めなかった。なんとなくサン=テグジュペリ「夜間飛行」のジッドの序文だけ読んだ。まさに人の気持ちを鼓舞させる、今の情況にうってつけな文章にも思ったけど、そのあまりにも、はまった感じが逆に妙な距離感を感じさせて、その後やはり何も読む気にならなかった。


明日から出勤だ。地面の情況が安定したとはいいがたく、かつ停電など、業務上対処が必要か否か等、現時点ではわからない。とにかく電車で人並みに任地へ運ばれて、人並みに働くよりほかない。与えられた枠内を甘受してがんばるだけ。などというとずいぶん無垢な感じになってしまうか。でもまあ、東京在住の人なんてもしかするとほぼ全員、無垢なひとたちばかりではないのだろうか。色々考えるにしてもせいぜい、カネ儲けがしたいとか、そんな程度のことでしかないのだろ?ほんとうに不思議な世界だよ。ここは。


何年か前とくらべると、今の僕はさほど、Fishmansを必要と感じてはいないかもしれない。とはいえ、とりあえずWeatherReportを聴くことにしようと今、思いついた。明日は東京地方に、大雨が降ることがないにしても、部屋の中に居続けて、まるで魚になった気分じゃないにしてもだ。明日、風が吹き続けて、紙ふぶきを撒き散らすことが、ないにしてもだ。


東京地方はきっと、この数日間で、今以上にきっと、ものすごく沢山のことを学ぶことになるだろう。その学習能力は、半端じゃないのだ。ほんとうに、とてつもなく学ぶ。結局、苦しみの中で何かを学んでいくのだ。呆れるくらい真正面から、苦しみの中を抜けてくるのだ。それしか進めない、要領の良い方法など無いということを、肌身に沁みて知っているからだ。合理性を捨てた気は無いが、あり合わせの合理性よりも苦しみを抜けてひとまとまりの成果を得る方の合理性を選ぶ。それが良い事だなんて一度たりとも思ったことは無いが、いままでも結局、そのようにしてひとつひとつ学んできたのだ。仕事もそうだし、人間関係とかもそうだし、それこそ文章を書くことだってそうではないか。マニュアルだのメソッドなどが役に立ったためしはなかった。何も書けない、何も書く事がないところから、無理やりに書くのを繰り返して、今もこうして書いているではないか。それを良い事だとも意味のある事だとも思わないし今後もそうは言わないが、でもそのようにしか進めないのだ。東京地方に青空が広がって、春なのに25度を越えていこうとするような時もあるだろう。そのときも、今も、そのようにしか進めないのだ。


坂中さん、どう。今日は上手く書けたかい?