思い出す事など


 夏目漱石の「思い出す事など」をげんなりしながら読み続ける。ああやっぱり健康がいちばんだとつくづく思う。読んでいるこっちの腹から喉元にかけてまで、なんとなく血腥い息が上がってくるような気がする。

 これが、いよいよ死に行く人の書いた、その瞬間を描写したものなのだとすれば、こういう凄惨な感じもわかるけど、漱石本人が、べつにこれで死んじゃうわけじゃないってのが、また何とも複雑だ。いや、それは当たり前だ。死んだら書けないじゃないか。生きてるから書ける。しかも如何にも漱石な、飄々とした感じで書かれているけど、もしぼくなら、もうこの時点で死んでしまったことにしたい。そういう話にしても良かろうと思いそうだ。でも漱石は、まだあと5年くらい生きる。この後、「こころ」も「道草」も「明暗」も書くのだ。それもすげえなあ!と思う。早すぎる死、というのは年齢だけ見ると誰でもそう思うけど、これを読んで、その後まだ5年も生きて、それだけ仕事をしてから死ぬのかと思うと、これはもう、とてつもない長生きなんじゃないか?と思わず錯覚してしまう。

 でもまあ、本当に死ぬということが、こんな感じだよ、いう風にちゃんと書いてあったとしても、結局は死ななかったから、そう書けたのであって、本当に死んだら、後で書けないのがつらいところだ。じっさい、ほんとうに死ぬのって、どんな感じでした?と聞いてみたいものである。聞いて見たいというか、そのことについて書いたものを読みたい。でも、もし仮にそれが読めたとしても、それはやっぱり「思い出す事など」のようであり、それ以外のものではないのだろう。