ミンガス・ワークショップ


ミンガス・ワークショップの演奏より「Fables of Faubus 」を聴いていて、これは音楽とも言えるけど演劇というか、お芝居のようでもあるなと思う。プレイヤーの各ソロは各自やりたいように、色々な曲を気まぐれに弾き始めてまた元に戻って、みたいな、気の趣くままというか、むしろ曲から如何に離れてしまえるかを競っているみたいだ。セシル・テイラーが参加しているThe Jazz Composer's Orchestraの、さっき聴いた「Communications#10」でもそんな印象だ。フリーに近い演奏といっても、オールオーバー的に音を敷き詰めてしまうのではなく、異なるものがぼこぼこと強引に繋ぎ合わされる。そもそもミンガス・ワークショップの各プレイヤー達は曲のテーマを演奏するときでさえ、相当にでこぼこな感じで、まるでほとんど同調する気もなくお互いが勝手なことを考えてるだけ、みたいな雰囲気を出しつつ、ぎりぎりのところでかろうじて合わせて、なんとかテーマらしき旋律を組立ててるだけ、のようにも聴こえる。こういうゴツゴツした感じは、今のジャズでは廃れてしまったもののひとつだろう。フリー的なスリルと興奮というのはやはり、マイルスの60年代後半以降とかインパルスのコルトレーンで、音の細分化、リズムの複合化〜粒状化ということになるのだと思うが、エリックドルフィーコルトレーンとはぜんぜん違うことをやっているのだとあらためて思う。エリックドルフィーが参加しているミンガス・ワークショップみたいなバンドの演奏は、極端な話、最初から最後まで聴いてなくてもかまわないのではないかと思うような感じもする。始まってから音楽が鳴っている間中は、ずっと熱いものがあって、その幕の中で一連の出来事を見たり見なかったり自由にせよという感じもする。CDで一曲が30分とか、長いとうんざりもするが、同時にだらだらと楽しくもある。そのようなゆるい期待を抱かせる楽しさだ。