休日


 土曜日の夜に飲みすぎたせいで、翌朝は頭が重かった。最近、ふだんは炭酸水をのむことが多い。

 日曜日の昼前に出かけたら、素晴らしい快晴で、ポプラの葉一枚一枚が、まるで安いアクセサリーのように光っていた。電車が鉄橋を渡るときも、川面が空気に蒸発していくその上を、自分が真横になって移動していった。土曜日と日曜日になると、どうしても、只の時間が特別になってしまって、そういうこと一切を平然とやり過ごせず、妙にありがたがってしまい、それがかえってつまらない。土日の、そわそわと落ち着かない時間を過ごしてしまうような、つまらなさというものがある。

 我々夫婦の、二人の暮らしにとって、外食は大切なことだと、そのように考えていくべきだろう。二人の生活だと、それならではの、社会との関わり方なり向き合い方なりがある。求められるわけではないが、そこに意識的であることで、安らかさを得られる、その仕組みがはたらいている。休日というものが思いのほか、その表現の場なのだ。そのために休日があるとさえ云えるのかもしれない。だとすれば、我々が安らかであるための良い休日を、外食によってつくるというアイデアもありうるはずなのだ。

 土曜日以来だから、二日ぶりに今日は泳いだ。前と同じだけの時間で、よりたくさん泳げるようになりつつある。最初は1000メートルを目安にしていたが、これが結構キツイので、途中から700メートル前後で良い事にした。700で大体25分くらいかかっていたと思う。それがじょじょに早くなってきて、最初の10分で500メートル来れつつある。しかしこの10分は長い。まだ10分しか経ってないのかと思う。その後、もう500メートルが、これがさらにつらい。しかし、逆に時間の流れは早くなってくる。15分過ぎて、20分過ぎると、身体への負荷も高まるが、時間もほとんどさらさらと過ぎていく。30分に近づくと、手も足も相当動かなくなってくる。泳ぎ方が、だらしなくなってくるのを堪える。それだけで激しく消耗する。呼吸が大きくなって息継ぎに余計な力が入り始める。