流れる。働く小説である。勤め人にとって、ふつうにリアルなことが書かれているから面白いということだろう。読んでいると、十代ではじめてアルバイトしたときの感触を、ありあり思い出してしまう。くろうととしろうとの世界。昨日まで高校生だった自分にとって、バイト先の世界というのは、いきなりくろうとの世界で、しろうとの自分とくろうとの世界との、はじめての接触。そういう体験としてのアルバイトだった。それが行く前から、自分の中にはっきりと見込まれていた。金がほしいということもよりも、それだったはず。そしてそれはたしかにそうだったが、それでもしばらくするとすぐ慣れてしまったが、完全に飽きてしまうことはなく、その職場をやめてからも、その後もずっと何年も、似たようなアルバイトを続けた。

二千円は廉いが、配給いらずの米の飯、保証人なし、外泊自由はわるくない。が、そんな条件より梨花の心を惹くものがこの土地全体にあった。この土地の何に心惹かれるのかははっきり云えないが、とにかくこの二日間の豊富さ、---めまぐるしく知ったいろんなこと、いろんないきさつ、豊富と云う以外云いようのない二日である。その豊富さは、つまりこの世界の狭さということであり、その狭さがおもしろい。狭いからすぐ底を浚って知りつくせそうなのである。知りつくした上に安心がありそうな希望が湧いてくるのである。しろうとの世界は退屈で広すぎる。広すぎて不安である。芒っ原へ日が暮れて行くような不安がある。広くて何もない世界が嫌いだというのは、ここが好きだということになる。雇傭関係はきめられた。