たまに絵を描くと、このまま死にたくない気持ちが強くなる。

この未練。それは不思議なものだ。作品を作るときに必ず出てくる、まだ時間が必要なのだと思われる感触。自分の意志と無関係な時間の経過、熟成が必要不可欠なのだという思い。

作品をつくる人間というのは、その制作時間のほとんどを、打算や、いいわけや、取らぬたぬきの皮算用ばかりに、明け暮れているもので、これはしかし、許してあげて、見てみぬふりで放置するしかない。仕方がない事なのだ。そうではない、仮に人としてちゃんとしていたとしても、それが作品の質に影響するものでもない。

作品をつくるなどというのは、実際には、見ても聞いてもいない、触った事もないようなものを、その間中ずっと、ここに目の前にあるかのようにして、有頂天になって、恍惚として、まぼろしを、両手で実体を掴んだつもりになって、何もないものをこねくり回しているようなものだ。救いがたいレベルの、ほとんど阿呆に近い。

何かに囚われて、夢中になって、問題に取り組んでいて、がむしゃらに頑張ってる、苦しそうで楽しそうな人間というのは、実際ほとんど、狂っているようなものだ。酒を飲んでいてもそうだが、楽しそうな人間はもう、あがっているわけであるから、それはそれで、もう仕舞いである。ほっとけばよい。電池が切れるまでのことだ。

会社なんかだと、そういう人間は皆無で、誰も彼もがまともである。誰も狂ってない。狂ってないというのはつまり、死を受容しているという意味である。ほとんど、もうしばらくしたら死んでもいいと思ってる人が、大半以上、いやほぼ全員、である。

いつも通る道の脇の木の、枝に先に、まるで取ってつけたように、急に小さく花が、ひとつへばりくいたように咲いているのを、ふいに見つけたのと同じように、中国人女子従業員のいる店で、飯を食いにいって、それまで何度も行っている店で、いつもつっけんどんな態度の、その店員が、今日になって急に、それiphoneの新しいのじゃない?と聞いてきて、違うよ、新しくないよ、と答えて、ああそう、と、なんとなくバツの悪そうな顔で苦笑いして行ってしまったりすると、おぉ、当たり前の素晴らしさ、と思う。最初から仕組まれてないもの。いきあたりばったりの、そういう適当さ、いい加減さ。中国人女子はみんなつっけんどんで、そしてあるとき急に、みんな親しげに話しかけてくる。いつも通りかかる道端の出来事みたいに、それをふいに見つける。

どうして、カネを稼ぐことと、いつ死んでもいいということが、重なってしまうのだろうね?そう聞いてみた。カネを稼ぐ人ほど、早くキリのいいところまで行きたいと思っていて、それはつまり体の良い箇所で死にたいと思ってない?

うーん、そう?そうかどうか、よくわからないけど。でも貧乏な連中の中にも、ほんとうにカネのことばかり考えている連中は多くて、そういうのは単なるカネがないっていうだけだが、そうではない人も多くて、カネに基本的な執着や興味がなくて、そうなると、最初からキリのよさみたいなものにも興味がないというか、何がキリなのかわからない。

カネを持ってる人たちの気にしている、あのキリって一体なんだろうか。

なにしろ、カネはもう少し、ほどほどのかかわりだけで済ますようにしたいものだけどね。月に、5、6万の収入で普通に暮らしている、という感じが望ましいと思う。そういう風にプランを作ってみた方がいいと思うんだけど、どうかね?月5、6万で暮らすのがいちばんいいのだ、という風潮に、最近はようやくなってきて、これは良かったと思う。それ以下だとたしかにつらいが、いや今でもかなりつらいが、それ以上は、結局今までどおりになってしまう。快適さを選び、金銭的なそれ以上というものを拒むようになる。これからきっと、そうなるんじゃないかな。

でもだったら、俺達の立場がないじゃん。危うくならない?
そうかな?別にそんなことなくない?

駅の待合室にいるか、テーブルワインのあるカフェにいるか、図書館にいるかのどれかだ。野菜や肉が、100円から500円くらいはかなり高いけど、それよりもやはり、家賃光熱費が大きくて、ここをもう少し、切り詰めたい。…しかし、あれもこれも、やはりまだまだ、色々とあって、そう簡単ではない。

まったく、もっとボーっとしていられないものか。なぜじたばた、あくせくするのか。なるべく死んでいろ。動くな。息もするな。まどろめ。部屋を移動するな。早足になるな。電車の走り去る高架下を通り抜けて急ぐな。駅前で音楽を演奏してる連中のわかりやすい、ベタベタの、ファミレスのハンバーグみたいな音楽が気持ち悪い。駅のコンコースにいっぱい寝てるホームレスとは別の、くだらない音を鳴らしてるああいう連中は、乞食っていう言い方がぴったりだな。ほんとうに、まさに、乞食だ。湿った、安っぽい音を鳴らして、物欲しげな、なんでもいいから口に何か入れてもらいたがってるような。

時間があっても流れてしまって、結局時間がない。時間はまさに、ちまちまと気にしていてもどうしようもない。もっと金持ちになって時間をぱーっと使いたい。ぱーっと惜しげもなく使う。その真似事はいつもするけど、所詮真似事は真似事だ。本当にリッチに、何時間も何十時間も、ぱーっとやりたい。