のっそりとした雲と、水分の少なくはじいたような雲、それぞれ色は薄灰色と白で、空の水色と調和のとれた色合いが豊かである。スーパーの食品売り場のグレープフルーツが98円で、三つ買う。鮮魚売り場のさんまが158円と今日は高かった。しかし今日はさんまを買う予定ではなかった。さんまが、頭とはらわたを取られて、透明なビニールを敷かれた青い箱の中の氷水に折り重なって沈んでいる。さんまの身体の膨らみと艶。夜の東京上空をゆっくりと回遊するB29の機体のようにギラギラと輝いていて、切り落とされた頭の断面に浮かぶ濃い赤の血液。さんまなど、青魚の血液の色の濃さは、それが、流れている血液が人間と同じものだと感じさせられ、赤という色の、たとえば葡萄の赤ともまた少し違ったような、血液としての、赤の色。それは絵の具の赤とも違っていて、ウィキペディアによると、朱色とは元来は天然赤色顔料辰砂の色であるが、血液のような、鉱物ではない赤こそが、赤のイメージにより近いように思える。はじめて油絵の具のヴァーミリオンを買ったのは高校生のときだが、小さなチューブが1700円くらいだった記憶がある。昔は、ヴァーミリオンという色をあまりよく理解できなかった記憶がある。高価な色だが、どう使うかわからない。朱色は、血液の色ではない。血液の赤は、乾けば別の何かに変わってしまうような、今たまたまそうである色で、必ず水分を豊富に含んでいる必要があった。絵の具に、そのような流動性を思い浮かべてしまい、目の前の安定をありがたく思わないというのは、やはり絵画を冷静に作る素養が不足していたからである。豆腐が88円の当店推奨価格である。二丁買う。生のイワシを買いたかったが、なかったので丸干しを買う。イワシの身体の膨らみ。ステンレスタンクのような下腹の出っ張り。その内側に盛られたアンバー系の色合い。イワシのはらわたの苦味を想像してみる。強烈な塩味、えぐみ、その色をなめると、そういう味がするわけではない。絵の具をなめてみた事はあるか。子供の頃は皆、絵の具を食べていたものだ。友達の笑った顔の、その口の中はしばしば鮮やかに青や黄色や緑色が踊っていた。アラビアガムの味なら誰でも知っている。子供の時点で、絵の具はおいしくないものだと、ちゃんとわかっているのだ。だから間違いは起きないのだ。レモンイエローには、果物の味も香りもない。朱色に甘味はない。グレープフルーツに親指をぐっと突っ込んで、皮を剥いて、極小の霧のようになった柑橘系の香りの成分があたりに広がって、あらわれたルビー色の果肉に、さらに指を食い込ませて二つに引き裂くとき、その赤さを、いつも体内のように感じる。粒立ちと内皮が果肉からきれいに離れるかどうかを気にする。ばりばりと音を立てて、果肉が震えながら薄皮より引き剥がされていく。手ぜんたいが果汁に濡れる。取れた果肉の房を、皿に寝かせて、また次の房を引き剥がす。赤い実が横たわっていく。三つ分を全部剥いて、皿に山盛りにする。