涼しい。というか、肌寒い。肌寒さとは、こういう感じだったかと思い出す。上着を着て歩くこの感触がよみがえる。雨が降るが、雨が降るものだ。この季節なら。雨が降るほど如何にも十月らしい。

 内田百けんの「サラサーテの盤」を読む。すごくて、ニ、三行ごとに止まって、その場で唸ってしまう。読んで興奮するとか、緊張するとか、胸が高鳴るとか、そういうことではなく、なぜかかなり冷静に読んでいるのだが、何しろ、自分のそれまで考えてきた色々なこと、というか、ああ、それは僕が前から見ていたものだよ、と思わず言いたくなるようなことが、驚くほどほとんど、すべてここに書いてあった、などと思ってしまうような印象で、ある一行に出くわすと、じゃあその先をどうする?という思いで、もしも僕ならどうするだろう、という思いも含めて、期待を膨らませて、じっくりと読んでしまう。でも、そう思いながらも、味わい深さというか、真の魅力ともいうべき部分はほんの些細なところに宿っていて、なにしろ風景描写ならびに自然環境から受ける印象の記述が、その場で虚空に突き放されたような、とんでもない冷ややかな感触で直接肌に触れるように立ちあらわれるので、毎度ながら、たった今、読み終えた一行の方に素晴らしいものが多々あって、それを振り返っているのにも、時間をつかってしまう。