木曜日も飲み会で、主賓の人と帰り道が一緒の方角だったので北千住で二時くらいまで二人で飲んで、そのあと別れて、僕はタクシーで帰ってきた。車が、千住新橋を渡ったあと、ちょっとみたことがないような道に入って、深夜の、人気の無いその道を車はほとんど一気に走って、えー、どこに行くつもりなんだと思ってみてたら、急に、家のすぐそばの道に出た。うわーすごい、こんな行き方あるんですねー!と言ったら、いや、ちょっと失敗したんだよ、料金から300円負けとくわ、と初老の運転手さんは言った。なんだかよくわからないけど、プロフェッショナル魂というやつか。。


最近は連日のんでいて、たぶん人並み以上にのんでも大丈夫な方なのだと思うが、一定量のんだ日の翌朝は「あーのみすぎた」と感じる。目覚めにある種の不快さはある。年を取ったからそう感じるのだろうと思う。のまない日もつくるべきだとも思うし、のまない日があったほうがのむ日が楽しいだろうとも思う。


しかし、連日のんでいる。金曜日ものんだ。しかもひとりで。


ひとりでのむ日もまた最近ふえてきた。4、5年前もよくひとりでのんでいた。立ち飲みの店で日本酒をのんでいた。当時はまだワインにほとんど興味がなく、日本酒がいちばんおいしいと思っていた。でも、味がどうとかそういう細かい話もどうでもよくて、あのときの方が、今よりもさっとのんでさっと帰っていたような気がする。今はワインばかりなので、店もワインバーばかり探してるけど、まあ、今でも細かいことにグダグダとこだわったりしたくない気持ちはあるので、どうでもいいという態度ではあるが、それでも原産国や地域やブドウ品種とかは、どうしても気にしてしまうし、あれとこれを較べたくなったり、そういうことがグダグダとあって、昔よりも今のほうがだらだらとだらしなく長時間のみつづけるようなことになりがちではある。


店も色々で、僕も地は愛想のない男であるが、相手の出方に適当にあわせるような事もしながら(本来は店が客に合わせるのだろうが、結局は店が試し打ちしてきた一球目に、それでいいですよと返すから、客が合わせることになる。)こちらの目的は単に飲みたいだけだということで、夕方になると口の中に唾液と一緒にワインの味が沸きあがってきてしまうから、仕方がないから来てるのだというだけで、金曜日の夕方もそうだった。…しかし、なんか変な店だったなー。


で、帰りに財布をなくした。十年ぶり二回目。この、ものを失くす習慣をなんとかしたい。あーあ、という感じ。情報セキュリティがどうとか、偉そうに会社で云うこともある人間のやることとは思えない。もし拾った方がいましたら僕まで連絡を下さい。財布をなくすと、とにかく面倒くさい。その日のうちにクレジットカードとかを停止して、そのあと、寝て、今日の朝に起きて、「あーのみすぎた」と感じる。そのあと、あれ、財布なくしたのは夢だったっけ?と思うが、残念ながらやっぱり現実でした。


ツタヤのカードやら細かいのも一々全部電話して停止して、警察に届けて、駅の忘れ物もしらべてもらったが、案の定行方わからず。まあたぶん盗られてすぐにゴミ箱に捨てられるとか、そんなことか。現金は幸い大した額じゃなかったし、カード類も手間がかかるけど止まったので、結局財布なくすと、一番もったいないというか一番痛手なのは、その財布それ自体を失うことだ。十年前もそうだった。十年使っていて、非常にいい感じだったのに、また新しいものを買って使わなければいけないなんて。


そして、財布をなくして、でも全然後悔もしてないし、ほとんど精神的なダメージを受けてない自分はどうだろう。やはりまだ、今後ものんで行こうという気がある自分もなかなかすごいし、これしきのことではまったく、びくともしませんという頼もしさがある。そうこなくちゃ、それでこそあなただ、とも思う。


でも妻が怒るので、あまり開き直れない。なにしろ、この連休中、僕は一文無しなので、何を買うにも、妻にたのむという、お母さんと一緒の小学生みたいな情況になっているのだ。


今日は警察とか駅に行ったあと、すごくいい天気だったので、妻と二人で公園を散歩した。ほとんど初夏のような陽気。ポプラや桜の葉の色のもえたつような濃さ。日の光につつまれて、そしたらなぜか、失ったことへの、妙なロマンティシズムに酔いはじめて、ああ僕はついに、何もかも失くしてしまったけど、これはむしろ、神様が僕に与えてくれたギフトかもしれない。今、ここにきてようやく僕も、ちゃんと真正面から芸術に向き合うことができるような、今はじめてその資格が与えられたかのような、そんな気がする。だから、今日から僕も、自分の力を信じて、このうつくしい世界をつよく感じて、何かを受け入れて、何かを返そうとする、そんな芸術者としての自分を、真っ直ぐにすこやかに、たちあげて行きたいと、すごく素直に思っているのだと、そんなふうに語った。妻は、ばかだなこのひとは、という顔をしておりました。


明日は映画を見に行く予定(妻のお金で)。