そしてその小春日和にも似た何週間か、ジュリアは木の間から差して来る日光や、鏡に映る燭台の明りと一つになって輝き、昔の思い出とともに壁際に腰を降している年取った客達の眼には、ジュリアが幸福を運んで来る小鳥そのものに思われた。「あれがマーチメーンの長女だよ、」と彼等は言った。「今晩のあの姿が見せてやれないのが残念だ。」

 その晩も、次の晩も、その又次の晩も、ジュリアは何人かの親しいものに囲まれて、どこへ行ってもそこに一瞬間、喜びを持ち込み、それは川岸に立っていてかわせみが一羽、その羽の色を輝かせて水の上を横切る時、心が急に明るくなるのに似ていた。

 その夏の晩に、私を車に乗せて運転して行ったのはそういう、もう子供ではなくて、まだ女ではない、恋愛の悩みを知らなくて、自分の美しさが持っている力に驚いて人生の涼しい端で何かを待っている一箇の存在だった。それはいつの間にか武器を与えられていて、魔法の指輪を手に取って見ているお伽噺のお姫様であり、その指輪を指先を撫でて魔法の言葉を一言だけ言えば、足許の大地が開いて召使の怪物を吐き出し、主人の廻りを喜んで飛び跳ねるこの巨人は言い付けられたものは何でも持って来て、ただそれが主人が望んだ形をしていないかも知れないだけだった。

ちくま文庫「ブライヅヘッドふたたび」 イーブリン・ウォー 272〜3頁


朝の七時三十二分の京浜東北線に乗っていくのは眠いし大変だ。でも朝はさわやかなものだ。どんなに身体がだるくても無関係に朝はさわやかだ。しかし眠い。さわやかなのにだるくて眠い。こんな経験だって、ひとつの驚きには違いない。しかし、いくたびもこときれ、意識が戻り、またこときれる。もしかしたら、浜松町を過ぎただろうか。万葉集の時代にかえろう。