もともと自転車は妻が五、六年前に買って、でもほとんど乗らずに自転車置き場に置きっぱなしになっていたもので、先日タイヤは修理したけど全体的に錆びも酷くぼろぼろな感じのママチャリである。それを最近、唐突に僕が乗り始めたのだが、見た目はぼろくても乗ればとりあえず快適に走る。今日は自分の身長に合わせて自転車のサドルを上げ、ますます乗り心地、走り心地がよくなった。走り出してペダルを漕ぐと、自転車はおそろしくスムーズに加速して、そのまま一本の道をぐんぐんと切り開いて進む。分厚くて柔らかい四月ごろの空気が自分の身体にぶつかって粉々になってばらばらになり、切り裂かれて後方へ流れ去っていく。車が来ないので、路上の真ん中を走る。アスファルト舗装が新しいと、走っていて路面の凹凸をまったく感じずに、とてもなめらかなものの上を滑っているかのように錯覚するほどだ。そして周囲の風景が流れ去っていくスピードがすばらしい。路上にいるネコがこちらを見て、どうしようかと一瞬躊躇して、やがて足早にすててててと歩き去っていくその地点にもあっという間にたどり着いて一瞬で通り過ぎてしまう。こんなに速いというのはネコにも人間にも驚きで、これがまさに乗り物の原初的な驚きそのものだ。乗り物。身体が信じられない程速く移動するという、その体験そのものだ。乗り物、それはメディアであるという言葉にあらためてリアリティを感じる。こんなに速いのに、身体はなめらかに空気の層を切り裂いているだけで、ほとんど無感覚な、ぬるい風につつまれているような感じだけなのだ。まったく事実と感覚がどうしようもなく乖離していて、これぞまさしく乗り物による移動体験の核心だと思う。スーパーで買い物をして、野菜や肉や酒の瓶などの入ったぐっと重い袋が二つくらいになっても、自転車のかごに入れて走れば重くなくて、そのまま行きと同じスピードで帰ることができる。なんということだと、これにも仰天してしまう。家を出てから戻ってくるまで、おそらく三十分も掛かっていない。少しずつ減速しながら、自転車置き場まで、すーっと戻ってきて所定の位置で止まる。まるで飛行機のパイロットのようではないか。まったく、家の周りをこんな風に移動できる日が来るとは、今までまったく想像していなかった。