超久々にAsh Ra TempelのInventions For Electric GuitarよりPluralisを聴く。素晴らしい、としか云いようの無い覚醒的シーケンスパターンの中にうごめいているギターの音を聴き続けていると、ギターという楽器の不思議さが今更のように実感される。弦を弾いて出る音が、増幅されて延々消えずに持続し続けるというのがElectric Guitarの特徴で、こういう楽器でソロを演奏するというのは、やはりアルトサックスでソロを演奏するのとは意味合いが違ってくる。演奏者というレベルを越えて、楽器の成り立ちの部分を検証するみたいなことになってくる。この、どこまで行っても物語を形成できない不思議な楽器はいったい何なのか。20世紀になって、こういう楽器ははじめて生まれたのだ。すなわち、人間が仮にしばらく放置しておいても、通電している限り勝手に音を出し続けている楽器。つまり、最初から自分で自動演奏していて、しかし自分でも開始も終了もできない楽器。…しかしなぜ日本人はこうも、受け身で傍観者的なタイプが多いのか。こんなのでは、本当に我が社の製品が目標ラインに触れることができるのか、甚だ心許ないよ。さあ飲もう。飲むしかない。君だって少しは飲めるんだろう?さあさあ、もっと頼みなさい。もっとたくさんついで、そう、あなたも。そしたらそうだ。みんなで乾杯だ。はーい。よしよし。乾杯。そうそう。感パーい。乾杯乾杯。いや、めでたいね。やっと会えたじゃない。君いま何年生?へーそうなの。今度旅行行こうね。うん。よし今度温泉行こう。だってさっき、行くっていったじゃん。うん。まあいいや。気をつけてね。じゃあみんなもっとこっちに寄って。そうそう。ぐっと前に詰めて詰めて。偉い人は前のほうに後から遅れて来るのね。それが原因?それはわからないね。まあ、うん。まあ我々アングラ芝居人には関係ないけど。