織田作


先週、織田作之助「聴雨」今日は「世相」「可能性の文学」と読む。昔の人は上手だ。無頼とか戯作とか言う言葉の意味が、むしろ今となってはよくわからない。ふつうに面白い。何ヶ月も前から、一日1ページずつくらいのペースで読み続けている酒井隆志「通天閣 新・日本資本主義発達史」で「聴雨」が大きく取り上げられていたので、それで読んでみたのだが、たしかにすごく自由な、語る主体が語られているはずの人物主体に平然とすりかわってしまうような独特の感じが面白く、しかし完成度で言えば「世相」の方がやはり良いように思う。最後は出来すぎというか、そんなことある?みたいな終わり方だが、かえってそれが面白いというか、全体的にたいへん胡散臭い感じがいい。また、路地の先にその店がある、というその説明の仕方で、当時の大阪全部の雰囲気、それこそ気温、湿度、匂い、人いきれまでもが湧き上がってくるようなところもすごい。