破壊しに、と彼女は言う


昨日もそうだったが、今日も外気温が衝撃的といって良いほどの暖かさで、こういう天候だといつも忘れていることすなわち我々はいつでも常に巨大な動きのなかにいて、季節が巡り、容赦なくまた「次」が来るということがはっきりとわかって、しかも過去にも何度となく同じように感じたということも思い出して、その喜びようなおそれのような、何層にもなった複雑な気持ちが、またしても沸き起こる。


デュラス「破壊しに、と彼女は言う」を読んだ。これは、手ごわいですなあ…。そう易々と気分良くはさせてくれない。たぶん、ある時代、ある空気、そういったある条件下における、実験的に配置された男女の、ある化学反応の経緯がそのまま描かれているというか、一切の説明は与えられずに、ただそうだったということとして投げ出されている。その「ある条件」というのが、例えばいきなり五月革命と直結して考えてしまってもつまらないのだろうけど、少なくとも今読んでどうなのかは、たぶん自分は、よくわからなかった。こういう「融合」への指向や、睡眠の深さ、身じろぎもせず、内側で怯えているだけの、停滞する時間の感じ、とか、たぶんヨーロッパの歴史とかある階級に蓄積された経緯も含めて、この物語を成立させる基盤が醸成されたのであろうから、その上での四人のまさに、人間同士の実験みたいなやり取りの試行であって、こういうのはカウンターとして成立している側面はどうしてもあるようにも思えて、ああたぶん、今はもう、こういう感覚は、なかなか難しいのかな、とも思ったのだが、それは単に今の僕がそう思っただけで、また後日、いつになるかわからないが、また別のノリノリの読み手である自分が再読したら、いきなり別の様相で、また違った色合いの物語があらわれる可能性も大である。